、いるか」

天幕の外から聞こえてきた声に私は慌てて飛び起きた。緋鉛さんがわざわざ起こしにくるなんて、寝坊でもしてしまったのだろうか。しかし周りの様子を見るに、まだ辺りは暗いようだ。ならば……緊急事態!?

「何事ですか!?」

バッと入り口をめくると、そこにはわずかに頬を上気させた緋鉛さんが立っていた。しかも、なんだか……

「お酒臭いんですけど」
「ああ、飲んでっからな!」
「えええー……」

じゃあつまり、非常事態でもなんでもなくて。

「天幕間違えてますよ緋鉛さん」
「間違えてねぇ!」

怒ったように大声を出す彼に焦りを覚えて、口の前で人差し指をたてる。まだ夜遅いのだ。他の者を起こしては申し訳ない。なぜ私が焦らねばならないのか、とも思うが。仕方ない、この人は自分の上司なのだから、上司が間違いをおかしそうなときは部下が手綱をとってやらねばならない。

「間違えてるんです。ここは私の天幕です」
「だからあってんだろーが」
「え?」

そういや、この人は最初に「、いるか?」と声をかけてきていた。

「じゃあ何の用ですか?」
「ん? それは……忘れちまった」

悪びれる様子もなく言い放つ目の前の男に、疲れを感じる。酔っぱらいは手に負えない。はぁ、と一度ため息をついて、子供に諭すようにやわらかく声をかけた。

「では、ご自分の天幕に戻られるべきです」
「そうか?」
「そうです。体が冷えてしまいますし、そんなに酔っている状態で野外をうろつくものではありませんよ」

私が言い終えると同時に緋鉛は目をすっと細めた。呟くように声を発する。

「別に、そこまで酔っちゃいねぇよ」
「酔ってる人ほどそう言うんです」

私は、口ではそうは言いつつも、意外とまともな表情をしている彼に気づいていた。案外彼の言うとおり、あまり酔ってはいないのかもしれない。いつ何が起きてもいいように頭の半分は正常なのかもしれない。が、深夜に私の天幕を訪れる彼の行動が不可解なのは間違いないし、彼が自分のいるべき場所に戻った方がいいのもまた事実だった。

「ほら、もう寝て下さい。私も寝ます。おやすみなさい」

"寝る"という言葉を口にすると、自然と眠気がよみがえってくる。あくびをかみ殺しながら、精一杯の強い声で言うと、緋鉛さんはフイっとそっぽを向いた。

「……緋鉛さん?」

彼はその場を動かない。少し心配になって声をかけると、彼はもう一度私を視界におさめ、そうかと思えばまた目をそらし、所在なさげに目を泳がせる。そして最終的に一つ舌打ちすると、私を見下ろすように言った。

「怪我したらしいじゃねぇか」
「え? あ、はい、ちょっと油断して」
「だっせぇな。もっと気をつけろよ」

緋鉛さんの真意がわからずにじっと彼を見つめる。何が言いたいのだろう。一兵士の怪我など、気にするような立場の人ではないのに。

「はい、気をつけます」

とりあえず素直に返事をしておくことにした。すると急に視界が暗くなり、同時に息苦しくなった。

「……!?」

状況を理解できずに、腕を突っ張ろうともがくが、それはかなわない。ぎゅっと、私の右肩をつかむ手に力がこもる。そこでようやく理解した。私は今緋鉛さんに抱き寄せられているのだと。

「ちょ、ちょっと……!」
「じっとしろ。すぐ放す」

酔いを感じさせない真剣な声に驚いて、動きを止めた。それを確認してか、彼の手からも力が少し抜けた。

私の顔に血が集まってくる。いったい、この状況はなんなのだろう。それでも、さっきは急すぎて抵抗してしまったが、嫌なわけではなかった。

もしかしたら数秒の抱擁だったのかもしれない。
しかし私にとってそれは何十分のものに思えた。

やっと解放されたとき、緋鉛さんの耳も赤くなっていたが、きっとそれは寒さのせいだけではないと思う。目を合わすことができずに、お互いが地面に視線を落としていた。気まずい沈黙が流れる。その間、私の頭では疑問符が踊っていた。

「……じゃあ、ゆっくり眠れよ」
「は、はい」

そのうち緋鉛さんがほとんど呟くように言って、その場はおしまいとなった。背を向けて歩き出す彼を見送る。すぐに天幕に入ってしまう気持ちにはなれなかった。

気がつけば、ふりむかないかな、なんて思っている自分。驚いて、誰が見ているわけでもないのに周りを見てしまう。落ち着いた頃、もう一度彼の背中を見た。

その瞬間、彼がゆっくりとこちらを振り向いた。
心臓が大きくはねる。一瞬、死んでしまうかと思った。

緋鉛さんも驚いたような顔をして、バツが悪そうに正面を向き、今度こそ姿を消した。
残された私は頭を抱えた。
まったく、いったい、なんなんだ!
 





(201003)