慕
間違いで第五教団に入団してしまったことが、の人生における流転の始まりだった。どんな間違いかというと、何のことはない。人間の得意技であるただの「勘違い」だ。第五教団をダーゴキョー団という雑技団と間違えたといういたって素朴な誤解だ。
は幼い頃その雑技団と出会い、魅了され、そのまま育ち、いつしか自分も団の一員になることを夢見て努力するようになった。そんなところにこんな噂が流れたのである。「第五教団とかいう奴らが、ここから山一つ超えたところで何やら怪しい動きをしているらしいよ……」
の耳は「第五教団」と「ダーゴキョー団」を聞き違えた。
憧れの雑技団のためならば、山一つ超えることはたやすかった。そもそも団に入るために身のこなしを磨いてきたのである、獣が出てもうまく対応できる自信もあった。
そして入団した第五教団。あれ、おかしくないか? がそう思い、誤解に気づいたときにはもう遅かった。ここで「あ、間違えたんでやっぱいいです」とでも言えば殺されかねない、異常な空気だったのだ。逆を言えば、そんな雰囲気の中に入るまで勘違いに気がつかなかったはかなり馬鹿である。憧れの雑技団に入団という夢のような出来事を前に、きっと注意力も散漫になっていたのだろうが。
そこから先はひどいものだった。
周りの人間は、みんな教主さまとやらに心酔する者。その教主はどうひいき目に見てもいい人には見えず、心酔されるような大した人間には見えない。手違いでその場にいるは命と平穏な日々が惜しいがために、嫌々ながらそこにいたため、その異常さを冷静に認識することができた。とにかく、一日でも早く自然な流れで教団から抜け出すことを考えた。
しかし教団はなかなか動かない。目的は異界の者を使って何かすることらしいということは、下っ端のにもわかっている。だが教団はすぐ実行に移すことはなかった。
が教団に入って半年後にやっとおこなわれたことが、まず玄武に縁あるものを取り壊すことだ。そうすることで巫女をおびき寄せるらしい。その際うまいこと行方をくらまそうとしたが、最低三人組での行動を強いられている為、できなかった。
半年も異常な空間にいたため、慣れてきたといえば慣れてきたのかもしれないが、それはつまり自身の気が狂い始めたということなのかもしれない。そう思うと彼女はいても立ってもいられなかった。
――はやく、はやくここから抜けなければ。
だが不思議なもので気が急けば急くほど、好機が逃げていく気がした。そこでは無理矢理に自分を押さえつけた。
――とにかく、もうすぐ教団は大きく動く。大きく動けば多少の隙くらいはできるはず。今は冷静に、待つしかない。
そしてついに時がきた。
なんでも倶東国軍と協力する体制に入る為、教団から少々の武力として兵を派遣するというのだ。は即立候補した。
とにかく、教団本部から離れる。そのために。
軍ということは必ず戦闘の場面があるはず。そのときに死んだふりでもすれば、あとは自由に動けるようになるだろう。
意気揚々と倶東国軍に合流したは、すぐに愕然とすることになる。合流した軍隊の隊長が、教団の兵士たちに帰るように言ったのだ。なんでも、彼には皇太子ハケイから預かった隊があるため、教団から武力の援助は必要ないとか。
冗談じゃない!
は心の中で叫んだ。やっと、やっと教団本部から、あの異常な団体から離れられたのに、またそこに追い返されるなんて。
「いやです!」
気づけば声を張り上げていた。
「必ずお力になってみせます! だからどうか、私たち、いや、私だけでもこちらにとどまらせてください!」
そのとき初めて倶東国の隊長を正面からみた。は張りつめた状態の中で、わずかに驚いた。隊長と言うくらいだからきっとその人はごついおじさんだろうなんて予想をしていたのに、実際はと同じくらいの年齢の青年だったからだ。しかも線が細い、かなりの美人。
「必要ありません。気持ちだけ受け取っておきます」
「き、気持ちだけじゃ駄目です!」
近くにいた教団員が「おい、」と声をかけてきたが、彼女は「ちょっと黙っててくれる!」と噛みつくようにいって、隊長を見据えた。すると彼は疑わしげな目つきで彼女を見返す。
「何かここに残りたい理由でもあるのですか」
「超あります!」
「何故です」
「そ、それは……」
は、ちら、と自分の周りを見た。この場で「教団から少しでも離れたいから」なんて言うことはできない。かといって「倶東国が好きだから」なんて大嘘をつくこともできず、口ごもる。
「……す、少なくとも潜入して情報を流すためとか、そういうやましいことはありません」
「どこに保証があるのですか」
「それは、ない、ですけど……とにかくお力になりたいんです……はい……」
淡々と事務的に言葉を発する倶東国軍隊長に、はだんだん萎縮していく。最終的には苦し紛れに、「力になりたい」ということを繰り返し主張するしかなくなっていた。
そのうちもう断られても無理矢理ついていこうかな、などと無理な考えをし始めたころ、隊長は諦めたようなため息をついた。
「時間の無駄ですね。もういいです、好きにしてください」
「え」
「ただしあなた一人だけです。他の方はお帰りください」
これはつまり許しが出たということだ。は一瞬きつねにつままれたような気持ちになり、そのあとすぐ我に返った。
「あ、ありがとうございます!! 絶対お役に立って見せます!」
知らず知らずのうちにものすごくでかい声が出ていた。
の隣に立っていた教団員は「ひっ」と声を漏らして耳を押さえた。そんなことは知らず、彼女は頭を下げつつ顔を紅潮させてよろこんでいた。
これで少しでも希望が残った。
隊長万歳! こうなったら、本当に彼の役に立ってから消えよう!
そんな決意を胸に秘めた。
一般人だったはかくして半年の間に第五教団員となり、次に倶東国軍兵士となった。半年前の彼女が想像だにしていなかったことである。
そこから先の生活は、教団にいたころに比べれば天国だった。周りの人間はを敵の密偵扱いして冷たかったもの、みな怪しい教主を異常に信仰することのない、普通の人間だったのである。手ひどい扱いを受けても「ああ、教団員じゃない人間だ!」とにこにこと笑っているだったが、それは兵士たちからすればかなり奇妙な光景だった。
陣営を移動し天幕を張るときは人一倍、いや人三倍働いた。雑技団を目指して培った身軽さを存分に生かし、普段も陣営内を駆け回って雑用をこなした。
その内、その努力や単純そのもののの性格や振る舞いが幸いしたのだろう、倶東国の兵士たちもだんだん彼女を仲間と認めるようになってきた。
ある日、あとどの位恩返しをしようか、そう思いつつ兵士たちから洗濯物を回収し、山積みになったそれらを器用に支えて川に移動するは、そこに先客がいることに気がついた。
長い銀髪を三つ編みにして背に垂らしている。その背中はおそらくのものよりも小さい。
そんな人間は、この隊には一人しかいない。
「確か、修羅っていったよね」
「ん?」
それが、修羅との初めての接触だった。お互い見かけることはしていても特に関わりを持とうとはしなかったので、知っているのは名前だけだ。
「ああ、、だったっけ?」
「そうそう。洗濯?」
「見ればわかるだろ」
「なんだ、私に任せてくれればいいのに」
そう言いながら修羅の隣に洗濯物を積んだかごを置き、しゃがむ。しかし彼は首を振った。
「いいんだ。オレ、洗濯は結構得意だから」
「へえ」
確かに手際よく衣服を洗っている。これは負けていられないな、とも並んで洗濯を始めた。
ついでに、いい機会だとは前から気になっていたことを尋ねることにした。
「修羅はいつからここにいるの?」
「がくるちょっと前だよ」
「ふうん。誰かが、修羅は強いって言ってたけど本当?」
「まあね! あ、紫義さまの次だけど」
少し得意そうに言う修羅。意外と子供らしくて少し安心した。しかしこの年で軍にいるのだ、きっといろいろ深い事情があるのだろう。そう思ってはあまり踏み込まないようにした。
しばらく黙って洗濯をしていると、今度は修羅から話しかけてきた。
「そういやはなんでここに残りたがったの?」
「え?」
「ここに残りたい、力になりたいって、凄かっただろ」
「ああ……」
はあのときのことを思い出し、なんだか恥ずかしく思えて、少し顔をうつむける。
「ま、まあ、いろいろね」
「教団に情報を流してるの? そんな動きはなさそうに見えるけどさ」
「まさか。教団とは何の接触もしてないよ」
「そっか。してたら殺すところだったよ」
とても軽い声だったが、その内容に耳を疑う。は少し困惑したが、きっとこういう子なのだと結論づけ、話題を若干変えることにした。
「紫義さまも疑ってるのかな」
「どうだろ。ま、信用はしてないだろうね」
「そっか……」
落胆する。
そして遠い目をしながらぽつりと呟いた。
「役に立ちたいなあ」
「紫義さま、好きなのか?」
「え? あ、まあ恩があるし……まさかここにいること許してくれるとは思わなかった。感謝してるよ。それに」
「それに?」
修羅に促されて、はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「この隊の兵士にしてもらって、大分経つわけだけど、そうして時間が経つにつれ紫義さまがかっこよく思えてこない?」
「ああ、わかる! 紫義さまってめちゃくちゃかっこいいよな!」
修羅がパッと目を輝かせての食いついてきたので、も乗り気になって言った。
「うんうん、かっこいい。なんであんなに落ち着いてるんだろう。判断も的確だし、きっと凄く強いんだろうなぁ」
「紫義さまは一番強いよ」
何故か自分のことのように誇らしげに言う修羅。はそんな彼の様子を見て、本当に紫義のことを慕っているのだな、と思った。それと同時に、いつのまにか自分も紫義のことを尊敬していることに気づいた。初めはただの感謝であったのに、人の気持ちとはよくわからないものだ、と彼女はどこか客観的に思った。
「それにさ、紫義さまって玻慧さまのこと尊敬してるんだよね?」
「うん」
「私は半年くらい教団にいたんだけど、"教主さまのために"、"自分を慕う人のために"って、団員も教主も言うんだ。でも結局はその"誰かのために"を言い訳にしてばっかで、どうせ本当は自分のためなのね。その点、紫義さまは違う。まだ短いつきあいだけど、何となく違うなって思う。紫義さまはぜんぜん"玻慧さまのために"を言い訳にしてない。そこが凄いし、強いと思う」
の言っている意味を理解しようとしているのか、難しい顔をしながらも、修羅は何度も頷いた。いつの間にか、二人の洗濯の手は止まっている。
「私もあんな人になりたいなあ」
「俺も俺も。紫義さまみたいになりたい!」
「修羅が紫義さまみたいに?」
「なれるかな?」
「自分が紫義さまみたいになるところ、想像できる?」
彼女の言葉に、修羅は考え込む。
そして少しすると、かなり不安そうな顔をしながら言った。
「た……たぶん?」
「自信もって」
「たぶん!」
「もう一声!」
「で、できる!」
「よし! じゃあなれるよ。想像できる未来は実現しうる未来だって、どっかの偉い人が言ってたから」
「そっかあ!」
ぱっと花が咲くような笑顔を見せる修羅に、は面食った。誰かのこんな笑みを見るのは、いつぶりだろう。
なんだかとても気分が良くなって、も満面の笑みを浮かべた。
と、ここでその場にいないはずの人の声がきこえてきた。
「修羅」
は驚いて洗濯物を取り落とす。
修羅はその声の主の名を呼んで、ぱっと立ち上がった。しかしそれでもは信じられなかった。いや、信じたくなかった。
「え……紫義、さま?」
――聞かれた?
そのことで頭がいっぱいだった。別に陰口をたたいていた訳ではない。しかし、逆にベタ褒めしていたからといって、それがいいことであるわけではない。むしろものすごく恥ずかしくて、彼女の手は震えた。
「探しましたよ。話したいことがあります」
「はい、紫義さま。今行きます!」
修羅はせっせと洗濯し終わった衣類をかごに入れ、担いだ。そして紫義のもとに駆け寄っていく。
その間、は呆然と紫義を見ていた。
紫義はふと視線をに移すと、すぐに目をそらす。それを見て、紫義は自分たちの会話を聞いていたのだということを確信した。
しかしどうして修羅はぜんぜん恥ずかしそうでないのだろう。は彼が心底うらやましかった。
――いや、もしかしたら聞いていないかも知れない。とにかく確認しなくては。
そんな気持ちで、は震える声を発していた。
「し、紫義さま!」
「……なんですか」
なんとなく紫義の声が困っている気がするが、これは勘違いだろうか。
「さささっきの、修羅と私の話、きっ聞こえてしまってたり……しますか?」
おそるおそる、しかしちゃんと最後まで言えた。緊張で張りつめながら彼の返事を待つ。その隣で修羅が「なんでそんなに緊張してるの?」とでも言いたげな表情でを見ている。
やがて紫義が何か言おうと口を開いた。は耳に全神経を集中させる。どんなに小さな声ひとつでも聞きもらすまいとした。
が、その口からは予想外の言葉が出た。
「。洗濯物が流されてしまっていますが、気づいていますか」
「……へ?」
そして思い出した。先ほど紫義の登場に驚いて洗濯物を取り落としたときに聞こえたのは、地の上に落ちる「ぼとっ」という音ではなく、水中に落ちる「ぼちゃっ」という音であったということを。
「ああああ! 待って! 謝るから待ってえええ! 水大切に使うから止まれ川!」
無理なことを口走りつつ走っていく。
なんとか洗濯物を捕まえたとき、紫義が意図的に話を変えたということに気づいた。ばっと音がつきそうな勢いで紫義たちがいたところに目を向けるが、当然彼らの姿はもうない。
「やっぱり、聞かれてたんだな……」
落ち込んだ。
しかし、そこでもう一つあることに気がついた。
「あ、名前……」
、と。
確かについさっき、紫義はそう言った。の名を初めて呼んだ。
――あ、どうしよう。嬉しい。
こんなことで喜ぶなんて、なんて単純なんだ。自分のことをそう思うと同時に、は思ったより紫義を慕っていることを自覚し直した。
(201004)
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