戯れ
「さっきから、何がそんなに楽しいんです?」
「えっ、わかりますか?」
「口元がゆるみっぱなしですよ」
指摘されて初めては表情を改めた。口元に手をやり、そんなに変な顔をしていただろうかと首を傾げる。そんな様子は長くは続かず、また妙に何かを面白がっている顔をしながら、は口を開いた。
「紫義さま、知ってますか。麻理子と修羅、いい感じなんですよ」
「……」
言葉はなかったが、紫義の雰囲気は明らかにあきれていた。しかしは気にするでもない。むしろそんな様子の彼には全く気づかずに話を続ける始末だ。
「抱き合ってるとこ目撃しちゃったんです。まるで麻理子がお母さんみたいな感じだったんですけど。でもいいですよーあの二人。修羅もすっかりませちゃって、麻理子もなんだかんだで満更でもないようですし、ふふふ。めちゃくちゃ可愛いって思いませんか」
幸せそうだ。放っておけばいつまでも続けかねない様子に、紫義はあえて割り込んだ。
「それで何故君が喜んでいるのです」
「だって、なんかうれしくないですか? 周りの人が幸せそうだと。それに、私はああいうことに縁がない方なので余計に見てて楽しいというか」
「わかりませんね」
つれない紫義の態度にようやく気づいたらしい、はいったん話すのをやめて彼をよくよく見てみた。本当に興味のかけらもなさそうな顔をしている。といってもいつもと同じ顔なのだが。面白くないなあ、とは思ったけれど、あまりにしつこすぎると天幕から出ていけと言われるかもしれない。そう考えてそれ以上そのことには触れないと決めた。
それでも黙れば、逆に色々と考えてしまう。今紫義には恋人がいるのかとか片思いの相手はいるのか、とか今までにどんなつきあいをしたことがあるのか、とか。そもそも初恋は既に通った道なのか、もしそうなら相手はどんな人だったのかなんてことにもむくむくと興味が芽生え始めた。
「……今度は何ですか」
「え、いや、何でもないです」
聞きたいという気持ちが表に出ていたようだ。は焦って誤魔化した。正直なところ、紫義に色恋関係の話をあれこれ聞いてみたい。しかしながらそんなことをすれば、今までやっとのことで積み上げてきた信頼を自らの手でぶちこわすことになってしまいそうだ。はすんでのところで理性を保つ。
そういういわゆる恋の話ができるのはこの場では麻理子だけである。つい先日ちょろっとそんな話をしたが、とても楽しかった。胸が躍った。自分も女なんだな、と思える瞬間だった。はその時のことを思い出してまた口元をゆるめたが、紫義はもう何も言ってこなかった。
しかし思い出して楽しく思う気持ちの次には、来るべき別れにおいてのむなしさがこみあげてくる。顔にあった微笑はすぐさま陰り、陰鬱とした気持ちがにじみ出てくる。
「麻理子、ずっとここにいればいいのに」
「あなたの頭の中を一度のぞいてみたいものですね」
先ほどまで楽しそうにしていたくせに、一体どういう経路をたどってそこに行き着くのか。紫義のつぶやきにはどこか切実な響きがあった。
「でも、紫義さま。そう思いません?」
「僕に聞かないで下さい」
「異世界の子だから、やっぱり元の世界に戻るんですよね。すぐ戻るんでしょうか。できるだけこっちにいて欲しいですよね?」
「だから僕に聞かないで下さい」
「修羅もそう思ってますよね、きっと」
「人の話を……もういいです」
「ああ! ごめんなさい! 冗談です!」
慌てた素振りで謝ったあと、はまた、ふ、と笑った。どこか悲しげな、諦めようとするかのような笑みだ。
「紫義さま」
紫義は返事をしなかった。が、目線をにやることで応えたと言っていいだろう。それを確認して、彼女は切り出した。
「少し見回りにいきませんか」
「僕とあなたで?」
「はい。あっ、もしまだお体の調子が悪いのならば私が紫義さまを背負っていきますが!」
「そこまでしなくてもいいです。というか、君の中には僕がここに残る状況はないのですか」
言葉をつめる。紫義は呆れの混じったほほえみを見せた。
「まあいいです。行きましょう」
「本当ですか!」
彼女は喜んで天幕を飛び出た。後に続いてゆっくりと紫義が出てくる。少し先で自分の名前を呼ぶを見て、紫義はまるで修羅が二人いるようだと感じた。
もうあたりは暗くなり始めている。森の中は虫の声や葉のこすれる音、また他の生き物のささやかな生活音であふれている。その中に小さく小さく二人の足音が入り込む。
紫義よりも一歩前を歩くはどこか機嫌がよさそうだった。足取りは軽く、しかし危うさはどこにも見あたらない。顔はどちらかというと笑っているが、目は油断なく闇の中を観察していた。
その背に続いて歩を進める紫義は、なんとなく不思議な気持ちにとらわれていた。ここ最近の急激な環境変化。修羅に慕われ、に慕われ、いつの間にか三人で行動することが多くなった。そこに異界の娘が現れ、修羅とが彼女になつき、自分も彼女に救われたこともあってか、麻理子はただの捕虜以上の存在になってる。
に話を振られた時はまともに取り合わなかったが、麻理子を、少なくとも教団に引き渡すような真似はしない。そして玄武の者たちに返すつもりもない。つまりは、自分も麻理子にここにいてもらいたいのだろうか。
考えこんでいたせいだろう。先日の病がまだ響いているということもある。紫義は複雑に絡まった木の根に足を取られ、よろめいた。
「紫義さま!」
は速かった。
一歩前を歩いていたはずなのに、声が聞こえたと思ったら紫義のすぐ目の前にいて、ふらついた彼の体を支えていた。
「だ、大丈夫ですか? やっぱり、まだ調子がよくないんじゃ……」
紫義は、に支えられた状態で、どこかぼんやりとしながら彼女を見つめた。麻理子もそうだが、。この娘も自分にとってどんな存在なのか、いまいち把握し切れていない。最初は教団の息のかかった者だと思っていた。しかしどうにも違うらしい。それどころか教主よりも自分を慕い、こうして感情の起伏を素直に見せる。今彼女は紫義を案じていた。気配からも挙動からも、全体からそれが感じ取れる。
「紫義さま……?」
名を呼ばれて、紫義は我に返った。
「すみません。少し考え事をしていました」
体を離そうとしたが、その前にが紫義に言った。
「紫義さま。いっそのこと私たちもいい感じになります?」
にしてみれば、それはただの軽い言葉だった。この暗闇と静寂の中で、何かが簡単に消えてしまったり変わってしまったりしそうな状況の中で、自分たちを元々の姿に繋ぎ止めておこうとする言動。紫義にもそれはわかっていた。わかっていたのだが。
「……それならば、立場が逆でしょう」
取っていた手を逆に取られ、気づけば紫義を支えていたは、反して紫義に一部の体重を預ける形となっている。今や紫義はしっかりと立っていた。その顔にはどこか呆れたような微笑みを浮かべて。
「気をつけて下さい」
前触れなく言い放たれた言葉には目を点にしたが、直ぐに察して言い返した。
「って、なんで私が転んだふうになってるんですか!」
「何のことです?」
「ちょっと、勝手に編集しないで下さいよ……」
そう言いながらも顔に血が集まってくる。実際の恋人たちの抱擁に比べてみれば大したことはないのだが、にとってはあまりにも近い。近すぎる距離。は自分の表情を隠してくれる闇に感謝した。
「ちょっと、もう放して下さい」
「言い出したのは君ですよ」
わかっているくせに。は首を振った。
「こんなの、全然「いい感じ」じゃないです」
真っ赤な顔でした精一杯の反撃は無言でかわされた。
次に麻理子に会ったら、修羅ともどもからかってやろうと思っていた、が、やめだ。彼女はそう思った。もしこの状況を麻理子が見ていて、自分がからかわれたとしたら、きっと恥ずかしすぎて死んでしまう。
( 201004 )