領域
一晩はこの寺院に留まるようにせよという巫大師の意志を聞いて、私は軽い落胆を覚えた。これでは紫義隊長たちに連絡を取ることができない。倶東国軍に紛れているという「女宿」について
探らなければ、私の任が失敗してしまう可能性は膨らんでいくばかりだというのに。
地下にある薬湯に肩まで浸かる。先日紫義の武器によって傷つけられた箇所がチクチクと痛んだ。耐えられない訳ではないが、気持ちのいいものでもない。落胆も相まって少し表情を堅くしていると、少し離れたところで同じく湯に入っている巫女が首を傾げた。
「どうしたの?」
「いえ」
私は軽く首を振り、微笑んで見せた。彼女に気を使わせまいとするその反面では、どうにかして本当の仲間と接触する方法を考えている。なんだか頭がおかしくなってしまいそうだった。
もし女宿に正体を見破られるようなことになれば、私はどうなってしまうのだろうか。七星士たちに殺されるだろうか? ……いや。少しの間一緒に過ごして受けた印象からして、そんなことにはならなさそうだ。今私の目前にいる玄武の巫女――多喜子は、私に言わせれば、甘い人だから。
「さん?」
「……あ、はい、なんでしょう?」
「さっきからずっと、ぼーっとしていたようだから。何か気にかかることでもあるの?」
「いえ……」
「倶東国のこと?」
鋭い指摘に、ドキリとした。
やはりこの人は、甘いけれど決して鈍くはないのだな。油断はできないことを認めなおす。
「私の側についてくれるのはとてもありがたいのだけど……さんにとって、本当に良いことだったのかしら」
「どういう意味です?」
「仲間だったのでしょう? 私の味方になってくれるということは、その人たちと敵対するということだから……」
私は心を痛めている様子の巫女をじっと見つめた。
本当に変な人。
私は意識して自分の心を冷やしていた。無駄な感情の起伏を許せばこの少女に情を移しかねないからだ。
「確かに、思うところがないわけではありません。しかし、これが私の長年の望みでしたので」
少し苦さを交えて笑むと、巫女は視線を落とした。納得できていないらしい。
「巫女さまは異界からいらっしゃったのですよね。だから、きっと私のようなものの気持ちは分からないと思います。しかし、私は本当に心から望んであなたのお側につかせていただいています。それについてあなたが気にかける必要は全くないのですよ」
「……さんは、どんなところで育ったの?」
「え?」
「急にごめんなさい。少し気になったものだから。む、無理に答える必要はないわ」
巫女ははにかんだ。急な話題転換に戸惑ったが、それでも私は自分の言葉に虚偽をまじえることを忘れないよう気をつけた。今の「」は元々北甲国東部の少数民族の出、という設定だ。
「――私の民族は、北甲国の中でも争いの多い地域に根を張っていたそうです」
嘘をつくときは全てを偽るのではなく、真実も語るのがよい。そう教わっていた私は可能な限り本当のことを話し、端々を辻褄のあうよう修正した。
「先日お話したように、私は物心ついた頃にはすでに売られる身でしたから……私の一族のことは聞いて知っている事と、巫女を保護する意識が強い事しかわかりません」
しかし売られた先で戦力として育てられ、その際剣術を覚えたこと。「剣の天才」と呼ばれる仲間がいたこと……正式に軍に所属した時の事。そんなことを話終えると、私は薬湯から上がることにした。
ほとんど嘘を話しているのだとはいえ、ところどころ真実もある。嘘をつくために自分の半生を省みていると感傷的な気持ちになってしまいそうだった。
「もうのぼせてしまいそうなので、お先に失礼いたしますね。巫女さまもちょうど良いところでお出になってください」
「ええ。……あの、さん」
「はい」
「今度また時間があれば、あなたが倶東国軍に入った後のことも聞かせて欲しいのだけど」
「え……でも、あんまり面白い話でもないと思いますよ」
「面白いとか、そういうことではないの。もしよかったらでいいから……ね?」
「はい、わかりました」
嬉しそうに笑う巫女を流し見て、私は今度こそ湯を出た。よくわからない人だ。
何とか外に出ることはできないだろうか。借りた服に着替えた私は七星士たちが集まっている部屋には向かわずに、別の方向へ歩いていた。それは地下にくるまでに通った道だ。途中で巫大師やその側近たちに見つかってしまうことを恐れて、できるだけ気配を殺して動いていたが、途中まで誰とも会うことはなかった。
これはいけるかもしれない。
そう思った所で、前方からこっちに向かって歩いてくる人間の気配に気づいた。身を隠すところは……ない。一方通行で分かれ道はないし、隠れられるような所はなかった。
覚悟をして彼らが姿を現すのを待った。
やがて明らかになったのは二人の姿だった。
一人はこの寺院の人間。もう一人は見覚えのない少女だった。酷い怪我をしているらしいが、どこか慣れているような雰囲気があった。
「あなたは」
寺院の女性が私を見て目を見開く。私は肩をすくめて情けない声を出した。
「み、道に……迷ってしまいました」
「……このままでは外へ出てしまいます。お送りしますので、ご一緒にいらして下さい」
「あ、そうでしたか。助かりました。でも、道もわかったことですし、少し外に出て空気を吸ってきても良いでしょうか?」
「やめとけ」
少女は鋭く声を出した。先ほどからずっと私を見据えている。探るような目を向け続けながら、言った。
「倶東の奴らが来て、巫大師たちが殺られた。空気を吸うどころじゃない」
「なっ……」
演技ではない。本当に驚いて声を漏らしてしまった。もう紫義たちはここまで来ていたのか。しかもあの巫大師を……。言葉が出ない。
「ところで、誰だ、あんたは」
「……私は」
聞かれた事に答えると、少女は疑わしげな目を隠そうともしないで言った。
「そんなこと言って、後で寝返るつもりじゃないだろうな」
そんな彼女につい苦笑いしてしまった。やけにずけずけと物を言う子だ。しかも口調が乱雑な分、怖がられそうな女の子だが、私はこういう人種は割と好きな方だった。
「ひょっとして、あなたが"女宿"?」
「だったらなんだ?」
「これからよろしくお願いします」
女宿は一瞬拍子抜けしたような顔をした。対する私は安心していた。もうやりすごされてしまってこの場を離れたらしい隊長に連絡をとれる可能性は消えたが、この女宿の顔を見て、彼女が私とは全く違う隊にいたことを確信したからだ。なぜなら全く見覚えがない。こんな性格の濃い子は、見ていたら絶対に忘れないはずである。ひとまず最大の不安要素は消えた。安心した私はそのまま彼女たちに続いて元来た道を戻った。
道中、寺院の女性に、巫大師が殺されたことは口外しないようにと念を押された。
女宿は巫女の入っている薬湯に案内され、私は一足先に別の場所にあった薬湯から上がっているという七星士たちの集まる部屋に向かった。
「思ったより早かったな、って……お前だけか?」
「はい。巫女さまはまだ湯に」
答えてから用意されていた椅子に座り、一息をつく。と、そこで室宿と虚宿の視線が私に集中していることに気がついた。
「……どうしたんです? まだ汚れていますか? ちゃんと洗い流したつもりでしたが」
「え、いや、そうじゃなくてよ……」
虚宿が言いづらそうにする。私はピンときていたずらっぽく笑った。
「あれでしょう? 私が女性らしい服を着たので驚いているのでしょう」
「あ、ああ……」
「軍服代わりの服を買ったときも、素朴なものでしたもんね。私自身も驚いていますよ。こういう、綺麗な服を着たのは本当に久しぶりなので」
袖をあげてまじまじと見る。こういう華やかな柄がついているような服を着るのは久々だった。着るための服、というより飾る服、といった感じだ。それに、髪は邪魔にならないよういつも一つに纏めあげていたので、こうして長い間おろしているのも久しぶりだった。
「そ、そうだったんですか」
室宿がまだ落ち着かない視線をこちらに向けながら言った。私はにこりと笑い、すっと立ち上がる。
「お茶飲みますか? 良ければ煎れさせて頂きますが」
「あ、ああ。頼む」
「室宿殿は?」
「お、お願いします」
「了解しました」
部屋のはしに置かれている茶器の元に行く最中、後ろから虚宿が「なんっか落ち着かねーな」とつぶやく声が聞こえた。それをあえて聞き流して茶を煎れる。こういうことは軍にいるときもよくやっていたので、慣れてはいた。
「巫女さまと女宿殿も飲むでしょうか。お二人が茶を苦手だってことはありませんか?」
「大丈夫じゃねえ? たぶん……って、女宿ぃ?」
「あ、はい、そうです。……言ってませんでしたね。女宿さんも到着なさいましたよ」
「なんだ、あいつ。来たのか」
「いらして欲しくなかったんですか?」
「そういうわけじゃねえよ! ただ……はっきりしないんだよな、あいつ。そこがちょっと不満なだけだ」
湯を器に注ぐ。背を向けていて顔こそ見えないが、虚宿の声色から彼の表情を推測するのは簡単なことだった。
「成る程」
これ以上踏み込みませんよ、という意志を言外に込めて短く言う。そして私は用意が済んだ茶を盆に乗せて、椅子に座っている虚宿と室宿の前に置いた。
「熱いので気をつけて下さいね」
「あ、ありがとうございます……!」
注意したのに、室宿はいれたてのお茶を飲もうとして「熱っ」と悲鳴を上げた。
「先に言いましたのに」
その様子が可愛らしくて、つい笑ってしまった。すると室宿は顔を赤くしてうつむく。その後、何かいいたそうな顔でもう一度私の方を向いたので、首を傾げて言葉を促した。
「何かおっしゃりたいのですか?」
「は、はい、あの……僕に敬語って、つ、疲れませんか……?」
「いえ、そんなことはないですけど……嫌ですか?」
「あ、い、嫌って訳じゃ」
「でも正直息が詰まるよな」
虚宿が割って入ってきた。私は目を丸くする。息が詰まる? どういうことだろう。
「なんつーか、別にそんなかしこまることねーって。虚宿"殿"とかさ」
「はあ。そうでしょうか」
「そうだって。な、室宿」
「は、はい、だって僕たち……巫女さまを守る仲間ですし」
「仲間……しかし、あなた方はまだ私を完全に信用し切れていない」
二人は顔を見合わせた。
「……ですよね?」
「――まぁな」
「と、虚宿さん」
あわてた様子の室宿に対し、虚宿は意外に落ち着いている。
「仕方ないだろ、本当のことだし。でも多喜子が信じるって言うんだ。俺たちも信じることにする」
一瞬自分の胸に走ったものが何だか理解できなかった。しかし、直ぐにわかる。これは痛みだ。これほど強い良心の呵責を感じるのは初めてだった。
「そうですか」
それを必死に押さえて、言葉を発する。
「わかりました。ありがとうございます」
「だから、その口調じゃなくていいって。それともそれが素か?」
虚宿は屈託のない笑みを浮かべてくる。室宿もおずおずと笑いかけてきている。私も遅れをとらぬよう、軽くほほえもうとしたが、完璧にできた自信はなかった。
「いいえ……いや、違う。そんなことはない。虚宿と室宿、でいいんだね?」
二人はじっと私を見つめている。今度こそちゃんと微笑み、私は尋ねた。
「今度は何?」
「なんか、印象が変わったな」
「そうかな」
「う、うん……表情も、かわったような」
室宿はおずおずと続けた。
「あの、さん。その服、似合ってます」
「え?」
「さっき言えなかったから」
照れ笑いする室宿。つられて、私自身も照れてしまう。もうこの気持ちが偽ったものなのかもどうなのかもわからない。
やっぱり、言葉を元に戻すんじゃなかった。距離を縮めることは本意から外れてはいなかったが、一気に縮めすぎだ。これでは隙がうまれてしまう。多喜子も虚宿も室宿も、どうしてこうも簡単に私の領域に入り込んできてしまうのだろう。
これこそ本当に、命の危険かもしれない。
巫大師が殺害されたということを思い出して、私は洒落にならないような寒気を感じた。
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( 201007)