沸室にて

 

どうしよう、と今朝起きてから、ずっと悩み続けている。

今日の日付は四月四日。の手帳には青い文字で小さくクラピカと書いてあった。そうだ、本日は彼の誕生日。一ヶ月ほど前にひょんなことから教えてもらったのだった。おそらく今いるノストラードの護衛のメンツの中でこの事実を知っているのはだけだろう。

しかし、状況が状況だ。どうしたことかネオンの念が発動しなくなってしまい、ノストラードのボスであるライトは情緒不安定。一番信頼されているクラピカはことあるごとに彼に呼びつけられて、よくライトをなだめている。そんな荒んだ雰囲気の中、気軽におめでとう! なんて言えそうにもなかった。こんな時ばかりは、人に気を使ってしまう自分が嫌になる。

今のの役目は、ネオンの部屋の隅で椅子に座り、昼寝をしている彼女を見張ること。ライトからのプレゼントやら今までの戦利品やらでごっちゃごちゃになっているベッド、その中で良く眠れるな、とは正直感心していた。そんな時見張り交代の時間が回ってきたのか、センリツが静かに部屋に入ってきた。彼女は小声でこう言った。

、交代の時間よ」
「オッケー。後は任せるね」

去り際にセンリツの肩を軽く叩く。センリツは片目をつむってそれに応えた。
当たり前だが、締め切っている部屋よりも外の空気の方が断然おいしい。部屋を出て極力音が出ないように扉を閉め、深呼吸をする。そのあと一つ欠伸をして、はネオンの部屋から離れた。さて。今から少なくとも一時間はフリーだ。紅茶でも飲もう。

そういうわけで紅茶を淹れるため湯沸室に行くと、そこにはなんとクラピカがいて、彼も湯を沸かしていた。思わぬ遭遇には面くらい、入り口近くで立ち尽くす。

「……どうした? 湯を沸かしに来たのか」
「あ、うん。ここ湯沸し室だしね」
「私に何か用でもあるのかと思った」
「え? あ、いや、うーん」

あることはある、が、彼は今日も朝っぱらからライトに呼び出されていた覚えがある。祝いの言葉を言ってもいいものだろうか。言葉を濁したに、クラピカは首を傾げた。

「なんだ、本当に私に用があるのか?」
「うーん。やっぱいいや。紅茶を淹れに来たの」
「私もだ。もうすぐ沸きそうだし、せっかくだから此処で一緒に飲んでいくか?」
「お、ありがとう!」

クラピカが淹れるお茶はおいしいのだ。ラッキー、とはわくわくしながら折りたたまれていた椅子を二つ用意する。この湯沸室には小さな円方のテーブルがあって、たち護衛は大抵そこで茶を飲むのだ。

「ストレートでいいか?」
「うん。お願いします」

は椅子に座り、お茶の用意をしてくれているクラピカの背中を見る。相変わらずてきぱきと動く人だ。彼は直ぐに全てを終えて湯気の立つカップを二つ机に置いた。その後の向かい側に用意された椅子に座る。

「ありがとう! クラピカの淹れてくれる紅茶ってホントおいしいから、大好きなんだよね」
「そう言ってくれると嬉しい」

あまり笑ったところを見たことがない。そんなクラピカが小さく笑んだので、も嬉しくなって満面の笑顔を浮かべる。が、そこで我に返った。祝われるべきは彼なのに、自分が彼からいいものをもらってどうする。紅茶を一口すすり、「ああ、やっぱりおいしいな」と思った後、おずおずと切り出した。

「あのさ、クラピカ」
「なんだ?」
「何かしてもらいたいこととかない?」
「は?」

クラピカはカップを片手に持ったままきょとんとする。そこに畳み掛けるように、は尋ねる。

「肩でも揉もうか? あ、欲しいものとかない?」
「どうしたんだ、いきなり」
「いや、だってさあ……」

聡いクラピカが、ここまで言ってが自分の誕生日を祝おうとしていることに気付かない訳がない。それなのにまるで気付いていない様子なのは、きっと彼自身が自分の誕生日を忘れているからだろう。は頭を抱える。

「とにかく、なにか、して欲しいことか欲しいものを言ってみて」
「急にそんなことを言われてもな」
「じゃあ肩叩き券とかどう?」
「私は君の父親か!」

鋭いツッコミが帰ってきて、はふきだした。流石に肩叩き券はなかったか。彼女が喉で笑っていると、クラピカは複雑そうな顔をした。

「からかっているのか?」
「いや、……そういうわけじゃないはずなんだけど」
「なんだ、はっきり言え」

ここまできてしまったんだ、思い切って言ってしまおうか。たまには空気を読まなくてもいいんじゃないか? なんてことを思いながらも、彼女はまだ悩んでいた。そしてある案を思いつく。

「クラピカ、ジャンケンしよう」
「今度はジャンケンか」
「クラピカが勝ったら言う。私が勝ったら言わない。はい、さいしょはグー!」

ジャンケンポンッ、とはグーを出した。対するクラピカは、

「グーとパーで私の勝ちだな」
「うん」

言おう。何で覚えているんだ、なんて不審そうにされるかもしれないが、覚悟を決める。少しだけ間を空けたのだが、その間の緊張で知らず知らずの内に、重大なことを言うときのような真剣な表情になってしまった。

「おめでとう」
「……なにがだ?」
「は?」
「ん?」

ここまで言って気付かないのは、流石におかしいだろうと思っていると、クラピカはが続けて言葉を発する前にハッとした。

「あ、ああ……そういえばそうだったな。今日は」
「すっかり忘れてたね」
「間抜けなところを見せてしまったな」

クラピカはバツが悪そうに言う。

「この約半年間、色々なことがありすぎて、すっかり忘れてしまっていた」
「そうだね、最近になって僅かに落ち着いてきたって感じだもんね」

やはり今の時期にこんなことを言うのはいけなかっただろうか。は既に若干後悔しかけていた。まともに向かい側のクラピカをみることが出来ず、カップの紅茶に歪んで映っている自分をじっと見つめていた。

「……こんなタイミングに言うべきか言わないべきかかなり迷ったんだよ、結局言っちゃったけど」
「いや、嬉しいよ。ありがとう」

降ってきた声につい視線を上げる。

「自分の誕生日を誰かに祝われるというのは、いいものだ」
「……よかった」

彼の表情が穏やかなのに安心して、大きく息をついた。同時に脱力して椅子の背も垂れに体重をかける。

「迷惑だったらどうしようかと」
「迷惑なわけがないだろう? そういえば君は、少し物事を重く考えてしまうところがあるな」
「そうなの?」

そんなことは初めて指摘された。目を丸くしてクラピカを見ると、彼はこくりと頷く。そうだったのか、これからはもう少し楽観視するようにしようなんてことを思いつつ、姿勢を正す。先程は曖昧なニュアンスでしか言えなかったから、改めてもう一度言うことにした。軽く咳払いをして、口を開く。

「クラピカ、誕生日おめでとう」
「ありがとう」
「結局プレゼントは何がいい? 肩叩き券?」
「だから私は君の父親じゃない!」
「じゃあ腰揉み券?」
「祖父でもない」
「おもちゃ譲る券」
「弟でもない」
「それじゃあ、あとは……」
「いや、もう券はいい!」

互いに顔を見合わせて、小さくふきだす。くすくすと笑いあった後に、クラピカは一言。

「次の機会に、君に紅茶でも淹れてもらおうかな」
「げ、止めたほうがいいよ。私の紅茶はまずいって評判なんだって、知ってる?」
 

 

END