彼女の願いもむなしく、3日後に到着した5次試験の舞台で言い渡された試験の課題は、受験者同士の対戦というものだった。
しかもそれはトーナメント制。普通のトーナメントと違うのは、勝者ではなく、敗者が上へあがっていくということ。
そして最後まで残った一人のみが不合格とされるということ。
つまり、合格のためには一勝すればいいのだ。
ネテロが作成したトーナメント表は妙な形をしていた。
これは、人によって最高何回戦闘できるかが違う。
ネテロの説明によると、この表は今までの試験の成績をもとに決められているらしい。
つまり今回の試験で戦闘のチャンスが多いものほど成績がよく、少ないものほど悪かったという事だろう。
彼は重ねて、こう言った。
「重要なのは印象値! これはすなわち身体能力値、精神能力値といったものでははかれない何か。――言うなればハンターとしての資質評価といったところか」
つまり、とは思った。最高の戦闘回数が少なめな自分にはあまりハンターとしての資質がないということか。
別に彼女はハンターになることを切望してこの試験に臨んだというわけではない、が、落ち込まずにはいられなかった。
だがいつまでも悠長に落ち込んでいるわけにはいかない。このトーナメント表によると、が初めにぶつかるのは301番ギタラクル。
3次試験で彼がかなりの使い手だという事はわかっている。
更に同じく3次試験で、ギタラクルはが念の使い手だということを知っている。気を抜くことは絶対にないだろう。
そうすると、「不意打ち」も「速攻」も効かなくなってしまう。
相手を殺すことは失格の条件となっているので、殺されることはないだろう。
が、彼女が合格したいと望んでいるのも事実。
そのためにはギタラクルに勝たなければならないが、
「(まずい、これは本当にまずい……)」
とてもじゃないが不可能そうだった。
第一試合目のゴンVSハンゾー戦が終わるまでになにか策を練っておかなければ。しかし、いい策などでてくる気配もない。
ギタラクルに負けても次で勝てば、とも思わないことはなかったが、その考えは直ぐに捨てた。
確かに、自分と第二試合目で当たりそうなのは53番だと、面子から簡単に予測できる。彼は見るからに戦闘には向いていない。
初めからに向けて敵意や殺意をバシバシ放ってくる相手にも見えない。
きっと53番には勝てる、しかし、だからといってそんな楽な道をとってしまったら――自分は成長できない。
彼女がうだうだと考えをめぐらせている間に、第一試合は幕を開けた。
速さで相手を霍乱することを目的とするゴンのダッシュ。
ハンゾーはそれにいとも簡単に追いつき、何事かをゴンに呟いたあと、首に手刀を落とした。ゴンの目が揺れる。
「ゴンっ!」
思わず考えることを止めて声を上げる。その隣でキルアが舌打ちをする。
これが長い消耗戦の始まりだった。
もう何時間が経っただろう。
床にはゴンの血液が散乱し、本人の体のいたるところには痛々しい痣や傷、こぶができていた。
ハンゾーの攻撃はえげつないものだったが、死なさずに「まいった」の一言を言わせるには有効なものばかりだ。
その攻撃はゴンの体にというよりは、彼の脳や聴覚、視覚といった感覚へのダメージを与えている。
痛みだけではなく不快感、吐気などを感じさせるような一撃ばかりをゴンに浴びせ続けている。
会場には殺伐とした空気が流れていた。その中で、はぽつりともらす。
「ゴン、本当にまいったって言わないつもりなのかな……」
「言わないって本人が言ってんだから、言わないだろ。ゴンはそういう奴だ」
キルアはさも愚問だと言わんばかりに答えた。その通り。ゴンはハンゾーに腕を折るぞと脅されても、決して屈しなかった。
「オレは本気だぜ。本気でお前の腕を折る。言っちまえよ!」
「いやだ!!」
拒否の叫びに続くようにして、パキ、と思いのほか高い音が響く。
の視界の片隅で、レオリオとクラピカが震えるのが見えた。ハンゾーは本当にゴンの腕を折ったのだ。
「っ……!!」
ゴンは床に転がったまま左腕を押さえて、必死に痛みと戦っていた。
その小さな体が小刻みに震える様を一瞬だけ見て、は目を逸らした。もう見ていられない。
ぎゅっと強く拳を握る。掌に爪が食い込んでしまうほどに。
彼女にはわからなかった。
力の差は歴然、なのにどうしてゴンは「まいった」と言わないのか。それが理解できなかった。
――ここで負けても次があるというのに。
そこまで考えてドキリとした。次にかけるという選択肢を一瞬思い浮かばせておきながらそれを跳ね除けたのは、自分も同じじゃないか。
きっと彼にも、次に伸ばしたくない理由、もしくは意地があるんだ。もう一度ゴンに視線を送る。
痛みに耐えながらも、その目からは力がなくなる様子はない。
しかしハンゾーは余裕綽々で逆立ちをして、なにやら自分の生い立ちを説明し始めた。
ハンゾーはジャポンの忍者らしい。
そういえばは、いつか彼がそう言っているのを小耳に挟んだことがあった。
彼が六歳で既に人を殺めていた、なんてことを告げたとき、キルアが「ふん」鼻を鳴らすのを、確かに聞いた。
キルアの横顔には「それがどうした」、と書いてあるのを見て、つい苦笑してしまった。
ハンゾーは自分の体重を支える腕を一本だけに減らし、次に指四本、三本、と徐々に減らしていった。
これは自分の強さを見せ付けるため、だろうか。そうしている間もハンゾーの口は止まることをしない。
「こと格闘に関して、今のお前がオレに勝つ術はねぇ! ……素直に負けを認めろ」
そして最後の一言とともに、彼の全体重を受けるものが指一本になったとき、ゴンが動いた。
彼は痛む左腕を庇いながらも瞬時に立ち上がり、逆立ちをしているハンゾーの顔面を思い切り蹴った。
予想だにしていなかったらしい攻撃に、ハンゾーは吹っ飛ぶ。
だが全身にダメージを受けているゴンも、それ以上足に力が入らずその場に転んだ。
「いってー、くっそ! でも痛みと長いお喋りのおかげで頭は少し回復してきた!」
目の端に涙を浮かべながらも、ゴンは言い切った。
「この対決はどっちが強いかじゃない。最後に「まいった」って言うか言わないかだ!」
は危うく、ゴンの名を叫ぶところだった。
「(凄い……! 何故あんなに果敢に立ち向かっていけるんだろう。自分よりも、格上の相手に。わたしには、できない)」
力だけでは、間違いなくゴンよりもの方が上。
しかし彼女はゴンに対して「到底叶わない」と思った。
彼のようになれたら、と憧れさえした。
ハンゾーは起き上がり、腕の包帯から刃物を取り出した。
「……次は脚を切り落とす、二度とつかないようにな」
ひゅんひゅんと音を立てるようにしてそれを振り、目を細めてゴンをみた。そして口角を吊り上げる。
「だがその前に最後の頼みだ。「まいった」と言ってくれ」
「それはいやだ!」
間を空けずに返ってきた答えに、ハンゾーは目を丸くした。
会場の人間のほとんども同じく。
「脚を切られちゃうのはいやだ! でも降参するのもいやだ!」
ゴンはずけずけと言ってのけた。「だからもっと別のやり方で戦おう!」と。
は呆気にとられて、ぽかんと口を開けた。
「なっ、てめっ、自分の立場わかってんのかァァ!?」
ハンゾーが噴火する。しかしゴンは全く悪びれない表情で、それどころか至極真剣な顔でハンゾーを見返す。
流石のハンゾーも咄嗟に何も言えず、沈黙が落ちた。
その沈黙の合間に、会場の人間が噴出し、笑いを耐えきれずに漏れる声が響く。
「勝手に進行すんじゃねーよ舐めてんのか! その脚マジでたたっきるぞ!?」
「それでもオレは「まいった」とは言わない! 脚を切ったら血が一杯出て、オレ死んじゃうよ? そしたら失格でしょ?」
ゴンは審判に向けて問いを投げかける。
審判は「あ、はい」とゴンの言葉を肯定した。
「ね? それじゃお互い困るでしょ?」
「む……」
「だから考えようよ」
言っていることはかなり我侭だが、ゴンはいたって真面目だ。
それを分かっているからこそ、ハンゾーは何も言えないようだった。
「凄いね、ゴンは……さっきまであんなに殺伐とした空気だったのに、それを変えちゃったよ」
「…………」
「キルア?」
返事がないのを不思議に思ってがキルアの様子をうかがうと、彼は難しい顔でなにかを考えていた。
その表情にはいつもの余裕がない。
その後、ハンゾーがゴンの額に刃を突きつけ、多少のやり取りがあったが、最終的にはハンゾーが根負けし「まいった」と宣言した。
よかった、とがほっと安堵の溜息をつきかけた、その時。
「そんなの駄目だよ、ずるい! ちゃんと二人でどんな勝負をするのか決めようよ!」
は今度こそ開いた口が塞がらなかった。
「(なんなんだ、この子っ!)」
まいったって言ってるじゃん! それなのにわざわざどうして!
一瞬の間に何通りもの疑問を叫ぶ台詞が頭をよぎったが、それらは直ぐに掻き消された。
「(もう「ゴンだから」で理解するしかないか……)」
これ以上驚くのも、つっこみをするのも、全て時間の無駄な気がするのだ。
「馬鹿か、この! オメーはどんな勝負しても「まいった」なんて言わねえだろうが!」
「だからってこんな形で勝っても嬉しくないよ!」
「じゃあどうすんだよ!?」
「それを一緒に考えようって言ってんの!」
「要するに? オレは負ける気満々だがもう一度勝つつもりで真剣勝負しろと? その上でお前が気持ちよく勝てるような勝負方法を一緒に考えろと? そういうことか?」
まとめてみると逆に清々しいほど我侭な意見だ。
ゴンはハンゾーの台詞を受けて、明るく頷いた。
「うん!」
「アホか!!」
その瞬間ハンゾーのアッパーが炸裂。ゴンは会場の隅まで飛ばされて、気を失った。
これでゴンはハンゾーの「まいった」宣言について文句をつけることは出来ない。
つまり、ハンゾーの負けとなるが……こんな形で勝負がつくなんて、誰が想像しただろう。
――だが、喜ばしいことに違いはない。
幸せな気分になってが口元をほころばせていると、レオリオが言った。
「いいのかよ、。そんな余裕そうな顔してて」
「え?」
「次お前の試合だろ?」
「あ」
すっかり忘れていた。
ざあっと血の気が引く音が聞こえた気がした。いや、聞こえた。
「やば……やばい」
「度胸だ度胸! 死ぬことはねえんだから、やれるだけやってこい!」
「……うん、そうだね! ゴンにも勇気、もらったしね」
「そのいきだ!」
レオリオはバシッとの背中を叩く。その勢いに乗せられたまま前に出かけて、足を止めた。そしてキルアのほうを振り向く。
「キルア、大丈夫?」
「大丈夫ってなにが?」
「さっきからずっと難しい顔してるし、余裕ない感じだから」
「……そんなことねーよ」
そうは言うものの、キルアはやはりどこか動揺していた。
ゴンの試合になにか感じるものがあったのだろうか。
しかしそれよりも、今は自分の試合について考えなければならない。は前に出てギタラクルと対峙した。
カタカタと揺れる緑色の体、相変わらずヒトには見えない。その姿を精一杯の勇気を込めて睨みつける。
自分で言った通り、ゴンには勇気をもらった。
絶対的実力差のある相手にも立ち向かっていくその姿は、の背を確実に押していた。
気を失ったゴンはもう運ばれて、この建物の一室に向かったが、彼が目覚めた時には言おう。
「ありがとう」と。
この試合は嫌でも独力だけの戦いとなる。
これを乗り越えた時、きっとわたしは変わっているはずだ。
そんな思いを巡らせて、ぐっと目に力を込めた。
「第二試合! ギタラクルVS!」
オーラを纏い、身を構える。まだギタラクルは殺意も敵意も飛ばしていない。
一か八か、初めは「速攻」にかけよう。ごくりとつばを飲み込む。
「始め!」
審判のコールと同時には地を蹴り、速攻を仕掛けようとした。が。
ギタラクルはそれを受けるでもなく、また避けるでもなく、静かに右手を上げた。
そして一言。
「まいった」
そう、告げた。
あまりの驚きにの体は固まった。そして思考も停止した。
次に頭の働きが正常になったときは、ギタラクルがに背を向けてフィールドから出て行ったときだった。
彼女だけでなく、審判も動揺している。レオリオが「は?」と声を上げるのも、の耳に入ってきた。
「だ、第二試合……勝者100番、」
落ち着かない口調で告げられた試合の結末。
それを受け入れるにはまだまだ時間がかかりそうだった。
――とにかく、ここから離れなければ。次の試合が始められない。
それだけを思ってふらふらと元の位置に向かって歩き出す。
「」
レオリオに声をかけられて、口をぎゅっとつぐみながらも顔を向けた。
「その、なんだ、形はどうであれ合格おめで」
「よせレオリオ」
彼の台詞の途中でクラピカの静止が入る。
「済まない、」
「……大丈夫、ごめん」
彼女は自分で、なにに謝っているのかが分からない。
とにかくは二人に軽く会釈をしたあと、キルアと擦れ違った。
彼女はずっと地面だけを見つめて歩いていて彼の顔を見なかったから、キルアがどんな表情をしていたのかは知れないが、
キルアはじっとギタラクルを見つめていた。
はやがて壁に辿り着き、そこに座り込む。
自分でもまだ整理がついていない感情や考えを必死に押さえ込むように、膝を抱いた。
怒り、とはつかない。恥、ともつかない。
悲しいのかどうかもよくわからないし、どちらかというと色々な感情が交錯して折り重なり、全体を見えなくしているかのようだ。
それらをなんとか整えようと、は自分の世界に閉じこもった。
第三試合(クラピカVSヒソカ)は、結果だけ見て安心した。
第四試合から六試合目にかけては記憶が無い。
第七試合目(ポドロVSレオリオ)がポドロの前の試合で負わされた怪我を理由に延期となり、
先に第八試合目(キルアVSギタラクル)が行われることになった。
その試合の直前に、キルアは体育座りをして顔を伏せているに言葉を投げかけた。
「次、オレとあいつの試合だから。見とけよ」
それだけだった。
だがその言葉は確かに閉鎖していたに届き、その意識をキルアの試合に向けさせた。