15.彼女の悔恨         

最終試験が終わって、二十分ほどの休憩時間となった。
は半ば放心状態で食堂の椅子に座りながら、オレンジジュースをすすっていた。甘酸っぱいはずなのに、舌が味を感知しようとしない。
ストローから口をはなしてコップを置き、頬杖をつく。
彼女の頭の中ではいまだにキルアVSギタラクル改めイルミ戦の始終がぐるぐると旋回していた。

「(まさか、勘付きもしない……するわけもない。ギタラクルがキルアのお兄さんだったなんて)」

鮮明に思い出すことが出来る。顔中に刺さった針を抜いて顔を変形した――いや、もともと変形していた顔を元に戻したギタラクルと、
その素顔を見て「兄貴」と呟いたキルアの顔。
あれはがこの試験内で一番驚いた瞬間だった。

しかし。
それ以上に衝撃的だったのは、ゾルディック兄弟の試合のあと、
仕切り直しされた第七試合(レオリオVSボドロ戦)に乱入したキルアがボドロを殺してしまったことだった。

ゴンはまだ目覚めていない。もし彼がこのことを知ったら、怒るだろうか。それとも悲しむだろうか。
そんなことを考えていると、ふと目の前が暗くなった。

「よっ」
「レオリオ……」
「向かいの席、空いてるか?」
「うん。どうぞ」
「じゃあ失礼するぜ」

明るい調子で言いながら、レオリオはの向かい側の席に腰掛けた。
座ったは良いが、落ち込んで重い雰囲気を纏っているにふる話題が見つからずに、難しい顔をする。
「えーと」、や、「あー」なんて声を出して終いには頭をかき、机に軽く拳を叩きつけて言った。

「だああもう、辛気くせえ! なんなんだよ、どいつもこいつも!」

いきなりのことに、はきょとんとした。

「クラピカは色々考えてるみてえだし、ゴンはまだ意識が戻らねえし、キルアはいなくなっちまうし、お前も暗い顔で黙ったままで……まるでオレだけ脳天気みたいじゃねーか!」

全てを吐き出して息を荒くするレオリオ。はやはりポカンとしたまま、ほうけたように「ごめん」と謝った。
それを聞いて我に返ったレオリオは、「しまった」と呟いて気まずそうな顔をする。

「わりい。……今のはオレが無神経すぎたな」
「ううん」

彼の一連の動作がおかしかったのか、はくすりと笑いをこぼした。
レオリオは安堵して、と同じように頬杖をつく。少しだけ躊躇したあとに彼はこう口火を切った。

「よかったら何でそんな調子なのか教えちゃくれねえか?」
「ん……ちょっとなあって思って」
「ちょっとなあって、何がだ?」
「結局わたしは最後まで他人の力と運だけでやってきたなってこと」
「――それっていけないことか?」

レオリオは不思議そうな表情を浮かべる。その目はまっすぐにを向いていた。
居心地が悪くなった彼女は頬杖から姿勢を正して、視線を自分の膝へと移した。

「だって、駄目だよこんなの」
「……四次試験の時にも似たようなこと言ってたな。オレはあの時も思ったんだけどよ、それってそんなに駄目なことか?」

は恐る恐る目を上げる。レオリオの視線と合わせて、直ぐにまた逸らした。そうした後に少しだけ首を傾げる。
彼女にとって、それは「駄目なこと」で、疑う余地もない事実なのだった。
しかしレオリオは言う。

「オレだってお前に助けられてんだよ。ゴンもクラピカも、……キルアだってきっとお前に助けられてる面が、少なからずあったはずだ」
「……」
「助け合いって奴だよ。お互い様だ。駄目なことじゃねえだろうが。っていうか駄目とか思うな!」
「え、でも……そんなので、い、いいの?」

いままでまるで縁のなかった考え方。が戸惑うのも当然だ。
彼女は半信半疑で問いかける。

「いいんだよ!」
「……でも」
「それに納得いかなきゃ、それだけ精進すりゃいいだろ。オレは精進するぜ、自分の合格に納得がいかないからな。――お前もだろ」
「……」

不思議なことに、レオリオの言葉はの心の中心にストンと下りてきた。は基本、他人の意見に流されやすい。
しかしそれは表面上のことで、根に持っている考え方が他人に何かを言われることで変わる事例は、今までに一度もなかった。
つまりそういう面では今回が唯一の例外だったのだ。
それは初めて出来た友人の言葉だったからだろうか。は自分の心が分からず、また少し首を傾げる。

彼の言葉を何度も何度も自身の中で噛み締めていると、必死で押さえ込んできた「甘え」があふれ出してくるのを感じた。
もう一度押さえ込もうとしたものの、もうブレーキは利かないらしい。
は苦しげに言葉を発した。

「レオリオ、また、助けてもらってもいいかな……」

その言葉を受けて彼は驚いたかのように、ほんの僅かに眉を動かす。次の瞬間には頼もしい笑顔を浮かべてぐっと親指を立てた。

「おう、どんとこい」

彼女は一瞬だけ息を詰めて、今まで溜め込んでいたことを外へと送り出し始めた。

「わたしさ、今、すっごく悔しいんだ」
「……ああ」
「気合入れてた所に即「まいった」って言われたことも、勿論、物凄く悔しいよ。でも他にもあるんだけど、それってちょっと長いんだけど、聞いてもらっていい?」
「オレにそんなに気ぃ使うなよ、いいから話してみろ」
「あ、ありがとう」

は感極まったかのように礼を言う。
しばらく自分の頭の中で言葉を整理して、ゆっくりと口を開いた。

「わたしとキルアね、ちょっとだけ境遇が似てるんだ。でも違う。キルアとわたしは、やってることが違う。キルアは逆らって家を出てきてこの試験を受けた。でも」

ここで一旦は言葉を切った。レオリオは真剣な顔をして、静かに続きを待つ。
乾燥した唇を舐めたあと、彼女は続けた。

「わたしは、……ほら、あの時理由を話したでしょ? あれはまるでわたしが自ら試験を受けたかのような言い方だったけど、本当は親言われて、って形なんだ」
「え、マジかそれ!」

明かされた真実にレオリオは目を見張る。まさか、そんな理由だとは思いもしなかったのだろう。

「情けなくて笑っちゃうでしょ、わたしはほんっと流されて、そのままで……でも途中からは自分の意思で合格したいとは思ったんだよ」

は「あの時、嘘をついてごめん」と頭を下げる。それに対してレオリオは首を振った。
「オレがの立場だったら同じようにしてた」と。そして続きを促した。

「そう、それでね、キルアはわたしにとって憧れ? っていうのかな。わたしもこう出来たらなあって思う対象だったの。そのキルアが、あいつに、イルミにあんな風に言いくるめられて、しかも「うんざりだ」って言ってた人殺しまでして家に帰ってしまったのがね、なんだか凄く悲しくて、悔しくて」

最後の方になるにつれて、言葉が段々と小さくなっていく。は膝の上に置いた拳をぎゅっと握って力を入れなおした。
そうしていなければ肩が震えそうだった。
なるべく余裕のある話し方をしようと心がけたつもりだったが、
が次に発した声は彼女のいっぱいいっぱいな心情をそのまま反映するような声だった。

「もしあの場でわたしがもっとギタラ……イルミと戦えてたら、少しは変わったかもしれないって思うと、それがまた、言い表せないほどに、悔しくて……」
「あれはお前、戦う暇もなかったじゃねえか。あいつはわかってたんだ、キルアはポックルとは戦わないって。だからわざわざお前との試合を棄権して、次のキルアと当たったんだろ?」
「でも! わたし、三次試験でイルミと同じグループだったんだけど……その時にもっとイルミの興味をそそれてたら。イルミが戦いたいって思える人間だったら、変わってたかもしれない」
……それは」
「わかってる。「もしもこうだったら」は不毛な考えだって。でも、考えずにはいられない」

もはや努力の甲斐なく、彼女の肩は小刻みに震えていた。その目から涙が零れ落ちないのが不思議な位だ。
は話を再開する前に、ニ、三度深呼吸をして自身を落ち着かせた。

「キルアね、試合の直前にわたしに言ったの。「次はオレとアイツの試合だから、見とけ」って」
「それってまさか、アイツがお前の無念を晴らそうとしてたってことか?」
「多少は、そう考えてくれてた面もあるんじゃないかと思う」

彼女はふっと大きな息を吐いた。
それは溜息と言うよりも、押さえていた呼吸を一気に許したかのような吐息。

「悔しい、こんなに悔しいのはうまれて初めてだよ……!」

その小さな声は絶叫よりも響いて聞こえた。レオリオは唇を噛んで、俯く。
結局は、今にも泣きそうになりながら、最後まで泣かなかった。

――それから、数分が立って。

「……ごめん、聞いてくれてありがとう」

の穏やかな声に、レオリオは顔を上げた。
彼女を元気付けるような笑みを浮かべながら、いつもの調子を心がけて答える。

「いや、こちらこそ、話してくれてありがとうな」

彼女の顔にはゆっくりと微笑が広がっていった。まるで「つき物が落ちた」ような顔だ。
レオリオは安心するが、次に彼女が発した言葉を聞いて慌ててしまった。

「……レオリオは優しいね」
「なっ、なんだよ、いきなり」
「あはは」
「からかったのかよ!?」

まいったな、と後頭部に手をやるレオリオ。
それには首を振った。

「ううん、本当のこと。レオリオはきっと、いいお医者さんになれるよ。一緒にいるとほっとするから」
「……へ、当たり前だろ」

彼は自信ありげに目を細める。
二人で笑いあったところに、クラピカが現れた。

「二人とも、そろそろ集合時間だぞ」
「あ、クラピカだ」
「ああ、私だ」

知らず知らずの内に上げた驚きの声に返答がきた。
それには少しばつがわるくなって、曖昧な笑いをみせる。

「考え事はいいのかよー?」
「そう拗ねるな。もう大丈夫だ」

二人のやり取りを黙って聞いている時に、はっとあることに思い当たった。

「(別にそうだったとしてもなんの不都合もないけど)」

それでも事実を確認せずにはいられない。
はタイミングを見計らってクラピカに声をかけた。

「……ちょっと一つ聞きたいんだけど、クラピカ」
「なんだ?」
「いつからここに?」

クラピカはばつの悪い顔をした。

「済まない。盗み聞きをするつもりはなかったんだが、ずかずかと入ってはいけない空気だと思ったので、結局盗み聞きをするという形になってしまった」
「あ、いや、いいよ、クラピカだし」

済まなそうな様子に慌てて首を振る。クラピカはもう一度謝ってから、「ありがとう」と軽く笑みを浮かべる。
は何となく恥ずかしさを感じて話題を転換した。

「それよりも、もう時間かな」
「ああそうだ、私は二人を迎えに来たのだよ」
「まだ説明会まで5分以上あるぜ?」
「5分前行動という言葉を知らないのか、レオリオ」
「律儀な奴だな、お前。まあ今更だけどよ」

レオリオが席を立ったのに続いて、も立ち上がった。そして三人で連れ立って食堂を出る。
説明会を行うと指定されていた部屋に辿り着くと、既に三人とヒソカ以外の全員が来ていた。
三人は後ろから三番目、四番目、五番目の列にそれぞれ一人ずつ座った。はイルミの斜め後ろだ。
やがてヒソカがレオリオの隣に座り、全員が揃った。

説明会の最中、は話を半分聞きながらも、もう半分の意識はずっとイルミにあった。
横目でその後ろ姿を見つめる。そうすると、キルアと彼のやりとりがまた脳裏によぎり始めた。

「もう人殺しなんて、うんざりだ。……普通にゴンと友達になって、普通に遊びたい」
「無理だね。お前に友達なんて出来っこない」
その二言でイルミはキルアの言葉を一蹴した。
この場面が何度も何度もよみがえるのだ。

知らない内に、力がこもる。

 

 

長い説明が終わり、最後にネテロが「質問等はあるかの」と言ったところでクラピカの手が挙がった。

「キルアの不合格は不当なものではないでしょうか」
「オレもそう思うぜ」

次いで聞こえたレオリオの声。
が振り返ると、二人は席を立ってネテロを見ていた。

「私は彼が自称ギタラクルとの対戦の際、なんらかの暗示をかけられてあのような行動に至ったのだと考える」
「暗示とな?」
「はい。キルアの様子は、第八試合からその後にかけて明らかに不自然だった。もしも彼が私の言うとおりに暗示をかけられ、行動を操作されていたのだとしたら、彼に自身の意思で動くことは不可能だったことになる。よって不合格は不当なものとなるのではないでしょうか」

クラピカが言葉を切ると、その場は静まり返った。ネテロは顎鬚を撫でながらクラピカの意見について見解を巡らせているようだ。
は振り向いたままだった体勢を元に戻して机を見つめる。
だが直ぐに視線をイルミへと転じた。

「(合格不合格はもう覆せない決定。それよりもわたしはあいつが許せない、んだけど……)」

だからといってなにをすることも出来ないのが歯がゆかった。
まだ、誰も声を出さない。

不意にイルミが沈黙を破り、はびくりと肩を揺らした。

「ここに入ってきてからずっとオレのこと見てるけど、何か言いたいことでもあるの?」

僅かに顔を動かして、横目でを見る。
部屋中の注目が二人に集まった。

彼女はいきなり声をかけられたこと、また場の空気が一変したことに怯んだ。
反射的に「いや、別に」という言葉が喉元まで出てくる。それを寸前で止めたのは、が見た第八試合の記憶。
そしてその後、キルアがポドロを殺した瞬間のこと。

あの時のキルアは今まで見たことがない程暗い目をしていた。
飛行船でに正体をバラした時も、あんなに暗い目はしていなかった。
底がない暗さというのはああいうものを言うのだろうと思ってしまうほどの、キルアの目には光がなかった。

それを思い出した瞬間、の胸にはふつふつと怒りがせりあがってきた。
怒りという感情はどういうことか恐怖やおびえを払拭するものだ。は普段の彼女では絶対に出来ないであろう行動をした。
立ち上がり、イルミを見据えて口開いたのだ。
出てきた声は微かに震えていたが、それは恐怖からなのか怒りからなのかと問われれば、
どちらかというと、後者のものだったと言っていいだろう。

「じゃあ、言わせてもらうけど」

その時、大きな音が響いてドアが開かれた。
向こうに見えたのは、厳しい顔をしてイルミを睨む、ゴンの姿だった。