電車の窓から見える風景は、ゆったりと目の前を通り過ぎていく。
視界に映るもののほとんどが森だが、更に奥に目をやると一際大きな存在感を放った山を見て取れる。
それこそがゾルディック家があるとされているククルーマウンテン。
その事実を知っているからだろうか、四人はその存在を初めて見たとき、威圧感のようなものを感じた。
いや、正確には「三人は」だろうか。
ゴンだけは例の山を見ても臆すことなく、風景を見ては楽しそうな声をあげていて、
他の三人は呆れとも感心ともつかない気持ちにとらわれたのだった。
山が見え始めてからしばらく経って。ゴンはまだ外の景色に夢中になっている。
その向かい側に座るレオリオは窓の外を眺めながらたまにゴンの歓声に対して相槌を打っている。
レオリオの隣でクラピカはなにやら難しそうな本を読んでいて、その向かい側、つまりゴンの隣に座っているは顔を俯けて居眠りをしていた。
そんなふう行きがけは四人が二人づつに分かれ、向かい合って座るかたちだが、
帰り道はここにキルアが加わって六人掛け用の座席に座ることになるといい。四人全員が思っていることだった。
目的地まで残り約二十分を切ったとき、はふと眠りに沈んでいた自分の意識が上昇するのを感じた。
それに抗う理由はなく、薄く目を開く。鋭くその気配を察知したクラピカは本から顔を上げた。
「予定到着時刻まで二十分近くある。まだ寝ていても構わないぞ」
「いや、起きる……」
眠気を体から追い出すように軽く伸びをして、目を擦った。
それでも寝起きの気だるさから完璧に逃れられたわけではないが、二度寝をしようという気持ちは完全になくなった。
「あ、起きたんだ! ねえ見てよ、キルアの家さっきより近くなってるでしょ」
「ん……? あ、本当だ。山がさっきより近くなってるね」
「うん! もう直ぐキルアに会えるんだ」
ククルーマウンテンをまっすぐに見つめて言うゴン。
その横顔を、は眠い目を擦りながら見た。やがてゆっくりと口元をゆるませる。
「そうだね」
その声色の、穏やかさとでもいうのだろうか。
自分の口から出た声の予想外な柔らかさに、彼女は自分で驚いた。
- - - - - - - - - -
その後地元の人間に教えてもらった観光バスに乗り、大きな門の前までやってきた一行。
まだまだ山は門よりもかなり向こうの方にあるはずなのだが、ガイドの話によるとこの門から先は全て彼ら一家の所有地なのだという。
つまりゾルディック家の敷地とはククルーマウンテンではなく、その周りの半径何キロにもわたる樹海を含めた全てだということ。
ゴンやクラピカ、レオリオは勿論、話でしか聞いていなかったも実際に見ることでとんでもないスケールのでかさに度肝を抜かれて、
呆然と門を見上げた。
「つまりよぉ……」
遙か上に位置する門の頂点を見上げながら、レオリオは誰に言うでもなく口を開いた。
「キルアはただのお坊ちゃんじゃなくて、かなりのお坊ちゃんだったってことか?」
その言葉に返答はなかったが、レオリオはもとよりそれを期待してはいないだろう。
そんな語感を感じ取って、あえて誰もなにも言わなかったというほうが事実に近いかもしれない。
その後同じく観光バスに乗ってやってきていた、ゾルディック家の首狙いの人間が、門の守衛から鍵を奪って、
勝手口らしき扉を開けて中に入っていってしまった。場に揃っている人々は息を飲んでその様子を見ていたが、
バスガイドの女性と守衛はこの後どうなるか分かっているようだった。
「またミケがエサ以外の肉を食べちゃうよ」、と守衛がこぼし、その言葉の不可解さに一同が彼に注目した時のことだ。
勝手口が内側から空けられ、先程中に入った二人の男と思われる骨が外へ放り出された。
そうしたのはどうみても人のものには見えない手。は思わず掌で口を覆う。
数秒をあけて辺りは観光客の悲鳴に包まれた。そんな中でもやはりバスガイドにとっては見慣れた光景らしく、
手馴れた雰囲気で解説を進めていたが、客にせかされてバスを出発する姿勢に入る。
しかし、守衛以外にこの場に残ろうとしている四人は門から離れようとしなかった。
「あんたら何してんだ、早く乗れよ!」
「あ、行っていいですよ。オレたちここに残ります」
四人を代表して言うゴン。
バスガイドを含む観光客らは一瞬我が耳を疑ったが、本当に一歩も動こうとしない四人を見て諦めたようだ。
やがてバスは音を立ててこの場から離れた。
「あなたたちは?」
二人の男に突き飛ばされて地面にしりもちをついていた守衛だったが、いつの間にか立ち上がっていたらしい。
彼はズボンについた土ぼこりを払いつつ、尋ねた。対してゴンはハキハキとした口調で答えた。
「オレたち、キルアに会いに来たんです」
「キルアって……キルア坊ちゃまのことですかい?」
守衛は信じられないとでも言いたげにぱちぱちと瞬きをする。
しかしレオリオ、クラピカ、の顔を順々に見て一つ頷き、立ち上がった。
「話を聞きましょう」
言ってから守衛の待機所を指差した。
「あたしは骨を片付けてから行きますから、少し待っていてください」
しばらくそこで待っていると、彼は額ににじんだ汗をかきつつやってきた。
ゴンが事情説明を耳にいれながらお茶を淹れてくれる。全て話し終えると、守衛は感慨深そうに溜息をついた。
そして四人に頭を下げる。尋ねてきてくれて嬉しい、本当にありがとうと。
だが敷地内に入れてやることはできない。守衛はそう断言した。
ゾルディック一家は庭で「ミケ」という獰猛で巨大な犬を飼っているらしく、それは侵入者を食い殺すよう命令されているらしい。
さっきの男達もそのミケに殺されたのだ。ミケに教われずに敷地内に入る方法は、ただ一つ。本当の門から中に入ること。
守衛が持っているのは、彼から鍵を奪って中に入ろうとする侵入者のために用意された勝手口の鍵のみ。
本当の門には鍵はかかっていない。そう説明を受けて、レオリオは正面の大きな門まで駆けていく。
「鍵がねえってことは、どうにかして力を込めれば開くんだよな?」
そう一言おいてから両手を門につけ、力いっぱい押した。それでも駄目だと悟ると、次は引き始める。
だが駄目だ、門はぴくりとも動かない。次は左右に開くようにして力を込め始めたが、それでも無理だった。
「どうやっても開かないじゃねえか!」
汗だくになったレオリオが守衛に食って掛かる。
「単純に力が足りないんですよ」
「アホか! 全力でやってるっての!」
その通りだ、レオリオは誰の目から見ても全力をかけて門を開けようとした。
その上で開かないというのは、つまり。は目を門にやったまま恐る恐る口を開いた。
「この門、とんでもなく重い、とか……?」
「簡単に言うと、そうですね。まあ見ていてください」
守衛は上着を脱ぐ。布の下には隆々とした筋肉が隠れていた。四人が緊張した面持ちで見守る中、彼は静かに両手をそえる。
守衛がかっと目を見開いて一気に力をかけると、門は重々しい音を響かせて徐々に開いていった。
レオリオが呟く。
「……開きやがった」
完全に開け終えると、守衛は手を離して一歩身を引く。
すると直ぐに門は閉まってしまった。
「ご覧の通り、これは自動的に閉まるから、開けたらすぐに入るといい」
上着を着なおして、守衛は続ける。
「この扉は片側2トンあります」
「じゃ、じゃあ、合計で4トン……」
は自分の口の端が引き攣るのを感じた。これは最早扉じゃないんじゃないか。そんな考えがめぐる。
更に守衛が発した言葉に、目を白黒とさせた。
「ちなみに扉は1から7までありまして、1の扉はさっき言ったように片側2トン。扉の番号が増えるごとにそれが倍になっていきます」
話を聞いたあとに彼女は疑問を口にした。
「キルアもこの扉を開けたってことですか……?」
「ええ、坊ちゃんが帰ってきたときには3の扉まで開きましたよ」
あの小さな体のどこにそんな力が隠れているのだろう。思っていたよりも広い住む世界の差を感じる。
つい最近まで近くに感じていた存在が ぐっと遠のいて感じられた。
その後ゾルディック家の執事室に電話をかけてみたり、
「友達を試すなんて変だ、こんな門からは入らない」と言い切ったゴンが守衛の力を借りてミケと顔を合わせたりした。
それでも、結局、敷地内に入ってキルアに会うためにはどうしても試しの門をクリアするしかないという結論に達する。
ゴンはあまり気に入らない様子だったが、他に方法がないのなら、と納得はしたようだ。
守衛の名前はゼブロといった。ゼブロは「今日は遅いから泊まっていきなさい」と言って敷地内の守衛の宿舎まで案内してくれた。
とんでも宿舎だ。なにからなにまで、それこそ湯のみやらなんやらの備品まで重く、
20キロのスリッパを履いたときにはつんのめって倒れそうになってしまった。
「あなたのようなお嬢さんにはキツいかもしれませんねえ」
ゼブロはそう言って笑う。
四人がテーブルにつくと、頃合を見計らって彼は問いかけた。
「四人とも観光ビザでこの国に?」
「ええ」 クラピカが答える。
「じゃあこの国にいられるのは長くて一ヶ月ってところですかね」
20キロの湯飲みを軽々と持ち上げ、お茶をすするゼブロ。
「よろしければこの家で特訓してみませんか? 君たちの若さなら一ヶ月で1の門を開けられるようになるかもしれない。4人がかりでもあけられればOKですし」
四人は顔を見合わせる。お互いの瞳に似たような光が宿っていることを確認してから頷いた。
代表してレオリオが声を上げる。
「世話になるぜ」
四人はゼブロに向かって頭を下げた。
「よし、じゃあまずこれを着て下さい。重りで出来たベストと、足につける重りです。上下で50キロになります」
じょじょに重さを増やしていきますからね、と言いつつ一人一人に手渡していく。
そしての前に来た時、ゼブロは一瞬ためらって動きを止めた。
「お嬢さんもやるんですよね?」
「は、はい、よろしくお願いします」
何か不都合があるのか、と緊張し、さっと顔を曇らせる。
しかし次にゼブロが発した言葉にがくっと肩を落とした。
「本当にいいんですかい? ムッキムキになっちゃいますよ」
なんだそんなことか、と脱力するのは本人だけで、他の三人はハッとした顔つきになった。
深刻そうに呟く。
「それは……」
「想像できないな」
「つか、想像したくねえな」
ゴン、クラピカ、レオリオの順番だ。
はレオリオの言葉に引っかかりを感じて振り向いた。
「へ、変な想像しないでよ」
「いや、だってよ? ムキムキだぜ? お前が。……うわあ」
「うわあって何!? ……と、とにかく、わたしもやりますから」
彼女はなんとか体勢を元に戻してゼブロから重りを受け取る。
彼はくすくすと笑っている。レオリオに向かって言った。
「大丈夫ですよ、一ヶ月くらいでボディビルダーのようになることはありませんから」
「もうマッチョの想像からは離れましょうよ……」
- - - - - - - - - -
翌日、は既に全身が筋肉痛になってしまっていた。
「か、体中が痛い」
「そうか? 私は意外となんともないな」
「オレもだぜ?」
「うーん、ごめん、オレもまだあんまり」
「そっか……」
は元々、力よりも速さや技術で勝負する型であったから、他のハンターたちに比べて筋力があまり鍛えられていないのだ。
だから今回は、今まで見ないフリをしていたところを鍛える機会になると思っていた。
四人は今、50キロある箒と錘を入れて20キロになった雑巾で部屋の掃除をしている。ちなみにバケツは40キロだ。
10キロあるナイフやフォークで筋肉をつくる食べ物を食べ、重いものを持って働き、その間はずっと50キロの重りを着る。
しばらくはそんな生活が続いた。そしてたまに試しの門に挑戦をする。
何度か門に挑戦した辺りで、は自分がこの門を開けることは無理だという事に気がついた。
彼女の体は筋肉が早く発達するように出来てはいない。
その証拠に彼女以外の三人は順調に重りの重さを増やしていったが、二週間ほど経った現在はまだ15キロほどしか増やせていなかった。
「(念を使うしかない……?)」
しかしそれにしても一つ問題があった。彼女が念を使う時、そのほとんどが防御のために使うものであり、
攻撃、自分の力を強めるために念を使った経験は極少ない。端的に言うと、彼女は強化系の念を大の苦手としていた。
が門を開けられるようになるためには、肉体を鍛えつつ強化形の念も磨き、二つを合わせてなんとか門を開けるレベルに達するしかない。
別に一人で開けなくても、という考え方は出来なかった。
レオリオは数日前、独力で門を開けることに成功したし、クラピカももう少しであけられるというところまで来ている。
早くも腕を完治させたゴンは本腰に入り、一気に力をつけてきている。
二人ともあと数日、恐らく一週間足らずで門を開けられるようになるだろう。
その中で一人だけ他力に頼るようなことはしたくなかった。
「(でも強化形の鍛え方なんて知らないしな……)」
とりあえず今までどおり纏と練を繰り返すことは絶対で、それにプラス何かをしなければならない。
纏をした状態のまま力を強めるイメージを繰り返して、実際に力を込めてみる。
そんなやり方しか想像は出来ないが、恐らくやってみる価値はあるはずだ。
自分の想像を信じて、は睡眠時間を削って独学の強化系修行を始めた。
約一週間後、それがなんとか功を奏し始めたらしい。
――元から、ずっと基礎修行を続けてきたにはオーラの量や質がある。
それをどうにかして強化にまわすというイメージさえつけば、多少は使えるようになるのだ。
勿論実戦に使えるレベルでは到底ないが、4トンを動かす力の支えにはすることが出来た。
守衛の宿舎で世話になり始めてから20日、は僅か数センチ程度にだが門を動かすことが出来るようになった。
「あとちょっと……!」
「頑張れ!」
門の向こう側からゴンが応援してくれている。だが、まだ足りない。あと少しのところで限界が来て、は門に押し戻された。
自分の抜かした三人はもう門をクリアした。レオリオにいたっては2の門まで開けてしまったのだ。
三人を引き止めているのは自分。は罪悪感とプレッシャーにとらわれた。
だがそれらは彼女の意識をいい方向に働かせるものたちだ。
は早く門をクリアしなければ、頑張らなければ、と努力を強めた。
それから二日後。
「頑張れ!」
「あともう少しだ」
あと数センチ。
それさえ開けば、何とか身を滑り込ますことが出来る。
汗が頬を伝い、背中にも流れた。今回は応援する声が聞こえない。
実際には前回よりも応援されているのだが、彼女に耳に入ってきていないだけだった。それほどには全神経を「門に開けること」に集中していた。
これ以上念なしの自分で力を強めることは不可能。あとはどれだけ強化の念を使えるかだ。
「(オーラを腕にだけ集中させるイメージ)」
硬は彼女にとって大の苦手分野だった。しかしやるしかない。ゆっくりと、確実にオーラを腕に集中させていく。
荒くはあったが、徐々に集まっていくオーラ。
奥歯を食いしばる。
何本にも分かれた汗が頬を、伝った。
少しでも集中を乱せばオーラは分散し、の力も一気に抜けてしまうだろう。
そして集中力が途切れるまであと数秒。
その時の脳裏をよぎったのは、最終試験で人を殺したキルアの顔だった。
怒りともなにともつかない感情がの心を支配する、その直後、彼女は数センチの壁を越えた。
体をギリギリ滑り込ませられる隙間が出来たことを知った瞬間、は動いた。
なんとか敷地内に全身を入り込ませた直ぐ後、門が音を立てて閉まる。
どっとした疲れが体に訪れ、彼女は地面に吸い寄せられるようにして倒れてしまった。
「大丈夫か!」
クラピカは慌ててかがみこみ、の様子を見る。
ゴンとレオリオは歓声を上げて手を叩きあっている。
「……だ、大丈夫……力が抜けただけ……」
疲れていた。かなりの疲労がたまっていた、が、それよりも喜びが優先して、は笑った。
クラピカに手を借りて立ち上がる。
「やったね、!」
「お前やればできんじゃねーか!」
レオリオとゴンに、ばしっと背中を叩かれて再び倒れそうになったが、何とかこらえた。
「まさかお嬢さんまで開けてしまうとはねえ……いや、よかった、これで晴れて全員クリアですよ。おめでとう」
ゼブロはぱちぱちと拍手をする。四人は、よしと気合を入れた。
「これで堂々といけるね、キルアの家!」
ゴンは森の奥の方を見据えて言う。その隣では深く頷いた。
初っ端からかなりの難関だった。しかしこれはまだ序盤。
ゾルディックの家につくまでには、もっと難しい関門が待っている、そんな予感は禁じえなかった。