ゴンたちと同じく、50階へのぼるのが妥当だと判断された少年、ズシをくわえて、四人は50階闘士たちの控え室にいた。
ここからは一勝するごとに10階単位で上へあがっていけるシステムらしい。逆に一度負ければ10階単位で下に落ちる。
「まあ、50階なんて大した事ねーから。気楽に行こうぜ」
「キルアさん声でかいっす……」
キルアの一言で若干周りが殺気立ったが、本人は全く気にしていない様子。
確かに彼の言うとおり、やばそうな気配のする存在はいなかったが、どうにも萎縮してしまう。
「ちょっと空気悪いよね……換気しちゃだめかなー」
「あ、いいんじゃない? オレもちょうど思ってた」
「じゃあちょっと窓開けてくるね。えーっと」
周りを見渡すと、奥に小さな窓が二つあった。
向かう途中、は誰かにぶつかった。
「あ、ごめんなさい」
「……構わない」
切れ長の目をした冷たい雰囲気の男だった。線は細いが、それに反してとても力強い、威圧感がある。
彼女は一瞬、背筋がぞくりとあわだつのを感じた。 彼は数秒間を見たあと、不意に視線を逸らして他の闘士たちの影に紛れた。
その姿が視界から消えてしまっても、はまだ動けずにいた。
「(なんだろう、あの人)」
いつまでもそうしているわけには行かず、窓を開けてゴンたちの元へと戻る。
一番に尋ねてきたのはキルアだった。
「どうした? 顔色が悪いけど」
「ううん」
は頭を振ってゴンの隣に座る。
そして不思議そうな彼らを誤魔化すように笑んで、違う話題を口にする。
「あれくらいの窓じゃ、あんまり効果なさそうだね」
「そういや、は女用の控え室に行けばいいんじゃねえ?」
「それはそうだけど、誰もいないしなあ、あそこ」
「え、誰もいないんすか?」
「うん。そういえばここで受付の人や審判の人以外で女の人を見たことがないって気がする」
「そういえば」
そこでアナウンスが入った。
『ワイル様、サナダ様、59階B闘技場へおこし下さい』
部屋から出て行こうとしている二人を見て、は危うく声を上げそうになった。
そのうちの一人が、先程彼女がぶつかってしまった人物だったからだ。
「……?」
またも変化した彼女の様子を不思議に思ったのだろう。
訝しそうなキルアの声に、彼女は慌てて笑顔を取り繕って「なんでもないよ」と安心させる言葉を口にした。
しかしそれで彼の目を誤魔化
すことはできない。
「(なにかあるな)」
キルアはそう思ったらしいが、それ以上の詮索をしなかった。
それをしても意味がないという考えからだろう。
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50階から60階、60階から70階へと、彼らは順調に進んでいった。
しかし一回戦目でキルアと当たってしまったズシは、風の噂だといまだ50階から60階の間をうろうろとしているらしい。
キルアの目標は、ズシと試合をしてから変わったようだ。
始めは金稼ぎのためだったが、今では最上階を目指すというものになっている。
なんでも、ズシからイルミと同じような「嫌な感じ」をおぼえたからだとか。
はそれを「念」だと知っているが、
それに対しての知識をもたないキルアはズシの目指す最上階とやらに行けば自然と分かると思ったらしかった。
にしても、あのズシが念能力者だったというのは驚きである。
そしてそうなると、初日に知り合った、ズシの師範代であるウィングも念能力者である可能性が高い。
そんなふうに考えを巡らせている最中、放送が彼女の思考を絶った。
『様、サナダ様。76階C闘技場へどうぞ』
「いってら」
「頑張ってね!」
「うん」
は腰掛けていたベンチから立ち上がり、控え室から出て行こうとしたところで固まった。
今回の彼女の対戦相手である「サナダ」が、扉の直ぐ隣の壁にもたれて立っている。
それは、まぎれもなく、50階クラスでとちょっとした接触を持った彼であった。
彼も負けなしでここまで来ていることは知っていたが、まさか
試合の相手としてあたると思っていなかった彼女は、
不意打ちの一撃を食らったかのように怯んだ。
その様子に気づいているのかいないのか、サナダは一瞬彼女の姿を視界におさめ、呟くように言う。
「君か。よろしく」
「あ、はい」
覚えていたのか。は少し戸惑う。
二人のやり取りを、ゴンとキルアは首をかしげて見守っていた。
闘技場での恒例である「どちらが勝つか」の賭けは、勿論サナダの方に多く票が集まった。
そしても「きっとこの人には負けるだろう」と感じている。
対峙したサナダから感じ取れるのは、洗練されたオーラ。やはり彼も念能力者だった。
無言のままも目にオーラを集めて警戒をする。
サナダは彼女が念を使えることに何の驚きもないのか、表情を僅かにも動かさなかった。
もともとそんな人格なのかもしれないが。
審判による戦闘開始の掛け声とともに、彼は腕を構え、やや遅れてが地を蹴る。
――今まではゴンとキルアに便乗して、アッパーカット一本で勝負を決めてきたのだが、今回はそうはいかないだろう。
オーラを纏い、攻撃力を増した彼女の拳はいともかんたんにかわされた。
それどころか手首を掴まれ、引っ張られる。体勢を崩しそうになったが、彼女はなんとかこらえて左足から地に着地した。
息をつく暇もなく殴りかかってくるサナダ。済んでのところで避けたが、その拳は彼女の右頬に微かに触れる。
致し方なく彼女は横っ飛びをして一度距離をとったが、その後感じた頬を伝う生暖かいものの存在は、紛れもなく彼女自身の血であった。
耳障りな歓声が沸き起こる。
「(早いっ)」
サナダのオーラの攻防力移動は非常に滑らかで、次の動きを予測させない。明らかに格上。はぐっと息を詰めた。
そして一つの事柄には不信感を抱いていた。
何故だか、彼からは敵意を全く感じないのだ。
は迷った。しかしその答えを出すよりも前にもう一度前に出てサナダと距離を縮める。
右足を振り上げる素振りを見せて寸前で止め、左腕を出した。
サナダは余裕をもって、彼女の左腕を右拳でガードする。
その際に彼は脇を「しめた」。
――ここが彼女の狙いだった。
"
【発動条件】
「閉じきっている」や「しめきっている」ものに「周」をした時に発動。
【効果】
それが本来持っている機能などを以てしても「開かなく」なる。
例えば扉にこの能力を使ったとき、鍵を開けてノブを引いても開かなくなる。
また閉じきっていた人の口などに周をした場合も同様に開かなくなる。
はパンチをガードされた瞬間、サナダの腕全体に、「しめられた(とじられた)脇」に周をしたのだ。
「閉鎖する臆病者」は彼女が肉眼で見える、そして「しめられる(とじられる)」もの全てに発動することが出来る。
対象の肉体も例外ではない。
これでサナダの右脇は開かなくなった。
彼の右手で自由なのは、肘から先だけだ。右腕はほぼ攻撃に使われることはなくなったと考えていい。
「念か……」
サナダは半分自由を奪われた右腕をまじまじと見て呟いた。
「変な能力だが、応用が利きそうだ。面白い」
鋭い眼光がを射抜く。彼女はその視線に耐えながら、礼を口にする。
しかしながら平静を装っているものの、彼女は溢れる疑問に惑わされていた。
「(なんで敵意がみえない?)」
普通ここまでされたら、少し位、敵意を持ってもいいはずだ。
「(これは、もしかして――試されている?)」
はっとした。もうそれ以外に考えられない。サナダはの力量をはかっているのではないかということ以外に。
「どうした、。はやくかかってこい」
「! ……ど、どうしてわたしの名字を?」
「あ」
サナダは眉を顰め、口元に左手の甲をあてた。その動作はまるで、しまったといっているようで。
はおかしく思い、更に問い詰める。
「何で知っているんですか?」
「……」
「わたしは1階で登録をしたとき、名前しか書かなかったはずなのに」
「今のは忘れろ、」
「あ、またって言った!」
その瞬間サナダの蹴りが彼女をかすった。
すんでのところで跳躍して避けた彼女は、両足と右腕をついて姿勢を立て直し、こう叫ぶ。
「な、なななんでいきなり攻撃してくるんですか!」
「今の反応は見事だった」
「人の話聞いてますか!?」
「うるさい、戦闘に集中しろ」
「(なんだこの人!)」
仕方なく交戦を再開する。
しばらく続いた攻防の中で、は確信を持った。
サナダは彼女の実力がどれほどかを試しているのだと。
その証拠に彼は、先の一撃以外、自分から攻撃を仕掛けようとしなかった。
そしての行動を見る目がいちいち品定めをしているかのような光を帯びていることに気がついたのだ。
「(やっぱり、試されている……! 遙か高みから、見下ろすようにして。この人は私に対して本気を出すつもりもないし、そうする意味もないと思ってるんだ)」
どんなにあがいたところで彼には敵わないと完全に結論付いたとき、彼女の戦意は全て喪失された。
絶望的とは、このようなものを言うのだろう。
汗が首を伝って服に染みる。
顎をつたって地に落ちる。
そんなに向かい合うサナダは、多少息が乱れているものの、汗一つかいていなかった。
ああ、負けた、と彼女は絶対的な敗北を感じた。
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「負けた」
「え?」
ゴンとキルアは耳を疑った。
が搾り出すようにして吐き出した言葉は信じがたいものだったのだ。しかし彼女は確かにそう言った。
「負けた」 と。
「マジかよ」
「誰と戦ったんだっけ?」
「サナダさんって人。あの人、凄い人だよ――彼には気をつけて」
握られた彼女の拳からはぎりぎりと音がしそうだった。
心底悔しそうな彼女の様子に、キルアはいつもどおりからかうことができない。
ゴンとキルアが顔を見合わせた、その時。
「」
「! サナダさん」
彼は相変わらず感情のうかがえない切れ長の眼で、彼女を見ていた。
他の二人――ゴンとキルアなど見えていないかのような振る舞いだ。
彼は呟くようにこう言った。
「話がある」
「わかりました。ゴン、キルア、またね。出来れば200階で会おう」
彼女はやっとのことで曖昧な笑みを見せて、既に背を向けて歩き出しているサナダを追った。
残された二人は二つの背中を見つめる。やがてゴンはキルアの方を振り向いた。
「あいつ、なんなんだろう」
「さあな。なんだかあいつ、のことを知っているみたいだ」
「そうなの?」
「勘だけどな」
二人が連れ立って歩く後姿は、もう見えない。けれどキルアの目はまだ二人の姿を追いかけているかのように、遠くを見ていた。
「……キルア?」
「ん? なんだよ、ゴン」
「どうしたの? なんか様子、変じゃない?」
「別に」
嘘だ。
キルアは今自分のなかに渦巻いている、よくわからない、今までにもったことのない感情に目を細めた。
ふつふつ湧き上がってくる、いらだち。連れ添うようにして歩く彼女と「サナダ」の残像を見ている限り、それは続きそうだった。
「あの人、凄い人だよ」と言った彼女の声は心から悔しいという思いが滲んでいた。
しかし、本人の自覚があるかは知らないが、その声にはある種の「敬意」や「憧れ」のようなものが混じっていたのを、
キルアは聞き逃さなかった。それに対しても、何故だか気に食わない。
ややあって、キルアは無理矢理に視線を元に戻すと、
「ま、あいつなら大丈夫だろ。オレたちも行こうぜ」
そう言って歩き出した。一歩遅れてゴンが隣に追いついてくる。
歩く最中、キルアはもう一度だけ、たちの消えた方を振り向いた。