25.新しく開けた道  

キルア曰く「眼鏡兄さん」ことウィングさんは、真剣な表情をして自分を訪ねてきたゴン達を見て一瞬目を細めた。

「……ズシに私の泊まっている宿を聞いたんですか?」
「はい、そうです。あの、ウィングさん」
「話は中で聞きます」

彼は話を進めようとしたゴンを一度制して、三人を部屋の中に導いた。
ウィングが泊まっている部屋は広すぎず狭すぎず、ちょうどいい具合の所だった。
ウィングは三人にその中心にあるソファに座るよう促して、自分は向かい側の椅子に座った。

「それで、ご用件は?」
「オレたちに、っていうか、オレとキルアに念を教えて欲しいんです」

前置きなく、また包むことなくすぱっと打ち明けたゴンの隣では固まった。
ゴンが「念」という言葉を発した直後、ウィングの視線が彼女に向けられたからだ。
はなるべく普通に見えるよう振舞おうとしたが、どうしても少し身が縮こまってしまう。
彼女が自分たちとウィングの間においてある机の表面をじっと見詰めていると、ウィングの溜息が聞こえてきた。

「その様子だと、もう念の存在について完全に知ってしまったようですね。方便も使えそうにない」
「方便?」

独り言のような一言も聞き漏らさずにキルアが尋ねる。

「心源流拳法では門下生でない者には念を教えないようにしているんです。万が一門下生でない者に、能力の存在を察知され問われた時は、方便として燃えるほうの「燃」を説く」
「ならオレたちを門下生にして下さい!」

自分をじっと見据えてくるゴンをしばらく見返した後、結局答えは返さずに、ウィングはもう一度溜息をついた。
そしてその場の様子を少し不安げな様子で見守っているに目を移す。

「あなたが教えたんですか、念のことを」
「……は、はい。この二人なら大丈夫だと思って」
「なるほど」
「それに……闘技場には思ったよりも念能力者がいて、もし二人が念を知らずにそいつらと戦えばまずいことになりかねない、とも思ったので」

話しながら気がついたことだが、ウィングの眼鏡の向こうに有る目は意外と強い意思を宿していた。
ついそらしそうになってしまうのをなんとかこらえる

ウィングは彼女の言葉を聞き届けて、深く頷いた。次に、少年たちの方に向き直る。

「君たちが200階に辿り着くまで一週間はある。君たちならその時間で十分でしょう」
「ってことは、オレたちに念を教えてくれるんですか?」
「ええ。彼女は「思ったよりも念能力者がいて」と話していましたが、実際には200階クラスの闘士達は全員が念を会得しています」

驚きの声を上げそうになるのを、は済んでのところで押さえた。やはりそうだったか。
よく考えてみるとこれで、を鍛えてくれるというヒソカの出した条件、「200階まで自力で」に合点がいく。

天に届きそうなほど高くそびえる天空闘技場は、最初見たときから妙な威圧感を醸し出していたが、
その高みに鎮座する者達の中にはきっと強敵もいるのだろう。
思っていたよりも凄いところに来て首を突っ込んでしまったな、とは僅かに彼女を煽る焦りを感じた。

「そこに行けば、君たち二人は確実に痛い目にあう。それも惜しいですからね」

ウィングは立ち上がった。ワンテンポ遅れて、キルアとゴンもそれに倣う。

「まずは瞑想から始めましょう。自身のオーラを感じ取る、全てはそこからです」

静かな声で告げるウィング。ズシが尊敬をこめた声で呼ぶ「師範代」の名が良く似合う。
ズボンからだらしなくはみ出しているシャツや、明らかに寝癖と思われる髪の毛のはねが気にならないほどだ。
また、いつもはただ丁寧に聞こえる敬語すらも厳しい響きを増したように思えた。

そんな彼に、ゴンとキルアは自然と返事の仕方を察知したようだ。

「押忍!」

完璧に重なった力強い二人の声が響く。ビリビリと心地よい痺れがの耳を襲う。
二人の返事はの心を突き、どうしたことか中からやる気のようなものを溢れさせた。
わたしが燃えてきてしまった、とは膝に置いた拳にぎゅっと力を込める。

「――ではゴン君、キルア君」

二人は一言も聞き漏らさないとばかりにウィングの言葉に集中している。
が、

「今日はもうお帰りなさい」

その言葉に一瞬あっけにとられ、次の瞬間食いついた。

「ええ!? どうしてですか!?」
「教えてくれるんじゃねーのかよ!」
「こっちにも色々と準備があるんです。では、明日の昼2時にまた来て下さい」

「もしその時間に試合が入ったらどうすんだよ」 まだ少し不満げな様子なキルアが言う。
「もしそうなったら」とウィングは飄々と答えた。

「即行で終わらせて来て下さい」

眼鏡がきらりと光るのが、見えた気がした。

はい、出て行った出て行った。と急き立てられ、三人はあっというまに部屋の外に出されてしまった。
もう日が暮れ始め、夕陽によって空は綺麗な橙色に染められている。
それを仰げば、視界の隅を横切る鳥の群れがそこはかとない郷愁を感じさせた。
日が暮れない内に帰るか、と三人は歩き始める。

「あの眼鏡兄さん、あんなキャラだったのかよ」
「ちょっと意外だったかもね」

「今までの印象、眼鏡と寝癖だったもんなぁ」 二人に次いでが言うと、キルアがそうだ、と指を指す。

「あの寝癖はねーよ」
「……ってことはやっぱ、キルアの髪って天然パーマなんだ?」
「はぁ? 当たり前だろ」

今更なにを、と呆れた素振りをするキルア。

「寝癖があってもわかりにくそうだね」
「そうでもないぜ? たまに他と全く違う方向にはねてる時があってさ、そういうのはすげー目立つ」
「へー。……ゴンは寝癖とかつく方?」
「ううん。オレは全然崩れない」
「だろうなー」「だろうねー」

キルアとの声が綺麗に重なった。
思わず笑ってしまう二人と、それに対して引っかかることがあるのか、少し拗ねたようにして見せるゴン。

「なんか貶されてる気がする」

「そんなことねーって」 キルアは笑いをこらえながら言った。

「むしろこれはゴンのチャームポイントだ」
「そうそう」

ゴンは釈然としない様子だ。

「ミトさんに切りにくいって言われるけどさー……」
「え、じゃあ硬いの?」
「触ってみる?」

お言葉に甘えて、とはゴンの髪に手をやった。
そして小さく歓声を上げる。

「ほんとだ。髪質硬い方だね」
「オレもオレも!」

同じくキルアもゴンの髪に触れ、声を上げた。

「あー、これはもうあれだな。ゴン毛だな」
「ちょっとキルア! どういう意味さ。ゴンモウって何? そんなの初めて言われたよ」

先程まで明るい色に染まっていた空が、早くも紫色に変わりつつあった。もう直ぐ夜になる。
通行人は心なしか少なめで、辺りには静かな雰囲気が漂い始めていた。
そんな仲で、明るいやり取りをかわす一行は目立っている。

「大体、キルアはどうなの?」

不意に発せられたゴンの一言で、髪の毛談義の中心はキルアへと移った。

「キルアは……猫毛っぽいね。触っていい?」
「ばっ、 なに言ってんだよ、
「いいじゃん、オレだって触らせてあげたんだし」

二人の好奇心で満ちた目で見つめられ、ひくりと口の端を引き攣らせるキルア。
最初は断るつもりだったらしいが、少しの間たじたじとしたあと、諦めたように、キルアは顔を逸らした。

「……勝手にしろよ」
「ありがとう!」

嬉々としてその銀髪に触れる二人は、おお、と感嘆した。

「や、柔らかっ」
「本当だよ、何食べたらこんなに柔らかくなるの?」
「あー……毒入りの食べ物?」
「毒入り?」

首を傾げるゴンに、キルアは簡単に説明した。
自分の家では毒への耐性を作るために毒入りの食事が出たのだと。

「へー、やっぱり凄いね」
「とんでもないよなー、って、。いつまで触ってるんだよ」
「あ、ごめん。なんか気持ちよくてつい。小動物をなでてるみたいでさー」

最早「触る」ではなく「なで」始めつつあるの手。それを振り払いたいのにも関わらず、何故だか振り払えないのが腹立たしい。
――寧ろ、もう少しなでていて欲しい、という願望が心の奥底から滲み出していることに気がついたキルアは、
次の瞬間顔に血が上ってくるのを感じた。
まずい。
キルアは半ば無理矢理に足を動かしての手が届かない位置に移動して、舌を出した。

「オレは人間だっての!」
「あはは、ごめん」

能天気に笑うに訳もなく腹がたったが、何も言えず。
しかし、そのまま黙っていると言うのも癪だったのだろう。
不意にキルアはニヤリと笑い、おもむろにとの距離を縮めるとぐしゃぐしゃに髪をかき乱した。

「!?」
「はは、ボサボサ!」
「なっ……なにするの、いきなり!」
「仕返し」

目を細めて笑いながら言うキルア、その言葉の語尾には音符が見えた。
は戸惑って、とりあえずボサボサになった頭を元に戻そうとするが、逆にひどいことになってしまう。
というのも、直そうとしている最中にもキルアがの髪に手を伸ばしていじってくるからだ。

始終を見ていたゴンは、くすっと笑って、明るい声を上げた。

「オレもやる!」
「……えー!?」
「おお、やれやれ!」

キルアは楽しげに笑ってゴンの背を押すような発言をする。
は二人から一旦離れた場所まで逃げて、「ストップ!」と両手を突き出した。

「ちょ、ちょちょ、ちょっと、わたしこんな仕返しをされるようなこと、二人にしたっけ!?」
「してないと思うよ」 じりじりと距離をつめながら、ゴンが言う。

「じゃあなんで?」
「ノリ」
「ノらんでいい!」

の必死の叫びを見事にスルーするゴン。
向かって左側からはキルアが、右側からはゴンが確実に距離を詰めてくる。
徐々に追い詰められて、彼女は必死に声を出した。

「ちょっと、二人とも落ち着こう? 何これ、何この状況。わたしいじめられてるみたいじゃない? 二人ともこんなつまらないことして楽しいの?」
「つまらなくねぇし、」
「楽しいよ」
「おー、息ぴったり、ってそうじゃなくて! やめてー!」

日没とほぼ同時に、天空闘技場のてっぺんにまで聞こえそうな、のシャウトが響き渡った。