20.ガイダンス     

妙な気分だった――あの人を訪ねるというのは。
少し前まで=にとって、ヒソカは偶然遭遇する人物か、向こうが何らかの目的を持って接触してくる人物であって、
自分から関わろうとは到底思えないような存在だったからだ。
そんな人に、いま自分は会いに行っている。
しかも(闘技場の、とはいえ)お部屋に訪問というかたちで。
本当に、人生何があるかわからない。塞翁が馬とはよくいったものだ。

目的の部屋に近づくにつれ、一歩一歩が心持ち小さなものとなってゆき、それとまるで反比例するように
鼓動が増した。

ようやく辿り着くと、はまず何度か深呼吸をした。
部屋が合っていることを数回にわたって確かめた後、もう一度深く呼吸を重ねる。
意を決して自分の頬を軽くはたくと、はたいた手を握り拳にして、こんこん、と控えめにノックをする。
すると数秒後、それに応えて扉が内側に開いてヒソカが顔を出した。
ほんの一瞬、は前に見た好青年風の彼の顔を思い返す。
……やはり目の前の人物と、繋がらない。

「やあ、よく来たね」

言いながらヒソカは扉を大きく開き、を迎える素振りを見せる。
彼女は先程のノックと同様に遠慮がちに彼の部屋へ入っていった。

簡素な造りではあるが、やはり100階クラスとは比べ物にならない広さ、そして設備である。
恐らくの部屋も同じようなものだろう、と思うと、彼女は自分の部屋へ行くのが少し楽しみになった。
ヒソカに言われた通り、は闘士登録だけを済ませてここに直行したのだ。

「かけて。お茶はいるかい?」

にソファを勧め、少しおどけた調子で言うヒソカ。

「いいえ……大丈夫です」
「だろうと思った」

ヒソカは彼女が腰掛けた向かい側に位置するソファに座る。
そしてどこからともなくトランプを取り出すと、
二つのソファに挟まれるようにしてたたずむ小さなテーブルにトランプタワーを作り始めた。
状況がよく飲み込めないはじっとそれを見守る。

「……今から」

少し経ってヒソカが発した声に、はわずかに肩を揺らした。

「今からボクが言うことに間違いがあったら教えてくれ」

何を突然言い出すのだろうか。
そもそも自分は何のためにここに呼び出されたんだったっけ、なんてことを思いつつも彼女は怪訝そうに頷いた。

。所謂「なんでも屋」を営む、家の長女。引き受ける仕事は犬の散歩から暗殺まで幅広い。
が、裏の仕事は「昔から縁のある一部の人間から定期的に任される」という形で引き受けている」

ヒソカが一旦言葉をとめたとき、は間抜けに口を開いていた。
――何故この人が、私の家のことについてここまで詳しく知っているのだろう?
ディケンズは極秘指定されてはいないし、プロハンターの情報網にかかればこの位のことは調べられてしまうだろうが、
わざわざそれをするヒソカの姿が想像できない。
どうしてか問いただしたかったが、答えてくれる可能性は低いだろうと踏んであえて聞くことはしなかった。
……尋ねる勇気がなかったというのもある。

「さて、ここからの話はあくまでボクの推測の域を出ないものになる」

ヒソカの手によってトランプタワーは着実に高く積み上げられていく。

「君は昔、両親の仕事の見学――あるいは修行の過程でトラウマを作り、今もそれに縛られている。だろう?」

ここからが彼の一番話したいことだろうと直感する。
彼女は心の中で肯定したが、実際にヒソカの目を見ると頷いてみせることも出来ず、ただ彼の顔を見返した。

「だがボクが思うに、それは間違っている。君がそう思い込んでいるだけだというのが正解じゃないかな」
「……は?」
「君の体が固まってしまう癖は過去のトラウマからだというのは、単なる君の思い込みなんじゃないかってことさ」

ヒソカの意図するところがつかめず、は眉を顰めて怪訝そうにする。
それに対してニヤリと薄く笑みを浮かべて、ヒソカは続けた。

「失礼だけど、君の両親、念能力者としてはイマイチなようだねェ」
「……確かに、念はあまり得意ではないかも……しれません」
「だろう。そうじゃなかったら、必ず、一番初めに疑うはずだ」
「なにを?」

焦らすように、ヒソカはトランプタワーにもう一段追加した。
その後ようやくもう一度口を開く。

「君の悪い癖が、念によるものだという可能性さ」
「ね、念によるもの?」
「絶対にそうだとは言わない。本当にトラウマが原因かもしれないしね。でも」

とん、と指でタワーをつつくヒソカ。
すると当然、カードたちは崩れ落ちていく。
その様子を笑みを浮かべて見届けた彼は、バラバラになったトランプを整え、一番上のカードを引いた。

「今までその可能性を考えたことが一度でもあったかい?」
「ない、です」
「だったら視野に入れておいても損はない」
「……」
「それにボクの勘は結構当たるんだ。その勘は、君に誰かの念による鎖がまきついていると言ってる」

言葉が出なかった。
ヒソカの言うとおり、とその両親は今までずっと、あの悪癖が精神的な問題から来るものだと信じ続けていた。
でも、よく考えてみればその考えには無理があるかもしれない。
相手の強さによって程度が変わるような――状況によって程度が変わるようなトラウマが
しかも、それらを無意識的にはかってしまうようなものがあるだろうか。

といっても、この世界は広い。もしかしたらあるかもしれない。

だが彼女は単純な一連の出来事でトラウマを作ったつもりなのだ。
それによって、そこまで複雑なトラウマになることは考えにくい。

「あの、もし、念のせいだったとしたら……それは除念をすれば、あるいは相手の制約を破れば治るってこと、でしょうか?」
「それは聞いてみないと分からないな」
「え……」
「ためしに話してみたらどうだい? 君がトラウマを負った原因と考える過去の出来事をさ」

いまや、ヒソカは再びトランプタワーを作り始めていた。
少し戸惑ったと、はゆっくりと話し始める。自分の中でも振り返る意味を込めて。
同時に、彼女は自分の人生の中でワースト1,2位を争う出来事の回想を始めた。

 

 


あの日のことは、実は一部分しか覚えていない。
日付や天気、気温については全く覚えがないのだ。
しかし、記憶に残っている一部分については、焼きついているといっていいほどしっかりと彼女の脳に刻まれている。

西洋風な部屋。電気はついていなくて、暗くぼんやりとした雰囲気の場所だった。
高級そうなカーペットの上には人が倒れている。その脇に立っているのは、いつもとは違った空気をまとう父親。
はそれを少し離れたところで、母親と一緒に眺めていた。

なんだろう。
何かが、いつもとは異なっていた。
それがなんなのかはっきりしないことが幼い彼女に焦燥感を与えていた。
小さかったは手を伸ばして母親の服の裾を掴む。
しかし母はその手を払い、代わりにその肩を押した。
その力自体は優しかったが、どこか有無を言わせない、冷徹な雰囲気を感じた。

父はいつのまにか倒れている人のそばを離れ、を見ている。
母もただじっとを見つめる。
どうすればいいかわからず首を傾げると、母が囁くように言った。

「その人を見なさい」
「……?」
「近くで」

理解できないが、しかし、やるしかなかった。
は小またで、慎重に、倒れている男との距離を詰めた。

「これが殺しだ」

父親がぼそりと呟く。
弾かれたように、少女は父を見た。そしてもう一度男を見下ろす。
の世界に何かどんよりとしたものが入ってきた。
それはゆっくりと底に着き、更に下へと滲んでいく――

はほぼ無意識の内に、父によって殺された男に手を伸ばしていた。
その手が男の頭に届くか届かないかの辺りで、異変が起こった。

動けないと思っていた男がガバッと頭を起こし、彼女の小さな手を掴んだのだ。
彼女は、ひっと息を漏らした。だが悲鳴はあげない。
死にかけの男のギラギラとした二つの目が、彼女の動きを縛っていた。

その瞳が、十年経っても忘れられないトラウマとなる。

憎悪の光を宿した目。確実に迫り来る死を恐れる目。
徐々に、生気を失って行く目。生々しく泳ぐ目。

瞬きも出来ない。体が固まって、息すらも上手く出来ない。

男が何事かを呟いたが、それはシューシューという息としてでしか外の世界に出て来れなかった。
やがて男は再び力をなくし、地に伏した。

「……これが死だ」

今度は母が呟いた。
その声が、にははるか遠くに聞こえた。
彼女の記憶に焼きついているのは、此処までである。

 

 


「――ということが、あって……多分、これがトラウマになっているんだと、思ってたんですけど」
「なるほど。じゃあその時に何らかの念をかけられた、と仮定して考えてみよう」

実は、は話すと同時に考えをめぐらせてもいた。
もしもヒソカの言うことが的中していたとすれば、彼女に念をかけたのは、あの時父に殺された男。
ヒソカもそう思ったらしい。「死人の念は」 と彼は切り出した。

「除念するのが難しいらしいね」
「わたしも、そう聞いたことがあります……」

思ったよりも厄介かもしれない。
は息が苦しくなるのを感じた。

「除念師を……それも強大な力を持つ人を探さないといけない」
「それまではどうするんだい? 今の君では、そんな人物を見つけたとしても、それ以上のことは出来ないだろう」
「(た、確かに)」
「かといって、他人に頼ることもしないんだろう?」
「それはできない……」
「ならどうするんだ?」

この瞬間彼女は霧が晴れていくのを感じた。
奇妙な感覚に目をぱちくりとさせる。
そうだ、簡単なことではないか。何で今まで、これを思いつかなかったのだろう。

「極力体を動かさずに戦う方法を身につける!」

普通の人間に、そんなことはできないだろう。
しかしには念という力がある。それは、動かずに戦う方法となりえるものだ。

「よく出来ました」

小さい子供に言うような調子で声を出すヒソカに、は少しだけ不満を感じた。子ども扱いなんて。
しかし、それ以上に彼の凄さを再認識した。彼はきっとわかっていたのだ。
が最後に出すであろう、そして出すべき結論を。
そして彼女をそこまで導いた。

「後もう一つ、君が無駄に悩んでいることに決着をつけようか?」
「わたしが無駄に悩んでいること……? ですか?」

心当たりが多すぎる。

「どうして強くなりたいのか考えてみるといい」
「……あなたって、いつも思わせぶりですね」
「そうかい?」

ヒソカはくしゃっと自らの髪を掴み、後ろに流すようにすいた。

「今日はもう帰りなよ。そしてじっくり考えるんだ。それが今の君に尽くすことが出来る最善さ」

ボクとの実戦修行はその後で。
そう言ってヒソカは高く積み上げたトランプタワーを崩し、笑んだ。

 

 

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