【 第一話 進む先に壁、目の前に夢 01 】


天空闘技場の審判の声が、地に倒れ伏したの脳内に響いた。果てしなく無情な響き。「クリーンヒットアンドダウン、ヒソカTKO勝ち」と彼はの負けを宣言した。それを聞き届けたらしい、観客席からは爆発が起きたかと思われるほどの歓声がわく。その多くはの 対戦相手であるヒソカという男を称えるような声だっただろう。しかし、彼女の耳はそんな騒音を拾ってはいなかった。

彼女の視界はぼやけていた。ハッキリと見えるのは、直ぐ傍にある地面。そして目の前に投げ出した自分の右手と、そこから湧き上がる湯気のような何かだった。
だから奇術師の目がどこにあるか正確な位置はわからない。それでも彼女は必死に頭だけを持ち上げて、奇術師の双眸がありそうなところを一心に睨んだ。対して奇術師はうつ伏せになっている 彼女をはるか高みから見下ろした。には彼が自分を見下ろしながらうすく笑っているような気がした。
はぎゅっと拳に力を入れなおす。

「私に、何をした……何故殺さない!」

掠れてはいたが、誇りを失わない声だった。

「死にたいわけじゃないだろう?」

ヒソカは彼女の二つ目の質問にだけ回答をよこした。は答えずに、ただじっとヒソカをねめつける。噛み締められた歯からはギリギリと音が聞こえてきそうだった。ほつれ、乱れた髪の間から奇術師を見上げる目にはまだ溢れる力が宿っている。それなのに体の自由が効かない。それは、彼女が命の源といえるオーラをだだもれにしているからなのだが、本人はそのことを知らないのだ。

「君がいい使い手になるその日まで生かしておいてあげるのさ」

ヒソカはそう言って、それを最後にきびすを返した。は一発殴られたかのような顔をし、次に怒りで表情を染めた。

「ふざけるな!!」

床を思い切り叩き、起き上がろうとする。しかし力が出ない。そのせいではバランスを崩し、結果として地面に仰向けになってしまった。「ちくしょう」とくちびるを動かす。言動の一つ一つから言い知れない悔しさや怒りが見て取れる。怒りとは、ヒソカに対するものじゃない。自らに対するものだ。
はそのまま意識を失った。

「……運がいい。200階で初めて戦う相手がボクなんて」

ヒソカがぽつりともらした呟きを、彼女は知らない。


は悪夢をみた。奇術師が薄気味の悪い笑みを浮かべて彼女を見下ろしている。どろどろとした黒い何かが彼女の足下で渦巻いている。それは時に彼女の足に絡みついてただでさえ不快な気分をさらに煽った。元となる炎もないくせに舞い散る火の粉が彼女の頬を掠めていく。現実でない、彼女の脳内に作られた舞台の上ではまたヒソカと対峙していた。なぜだか、今回もヒソカに彼女を殺す気はないらしいことを知っていた。それがの自尊心を傷つけていた。
聞けば、ヒソカはいままでこの天空闘技場で相手になった人間をほとんど殺している。なぜ、その殺意がに向かないのか。夢の中でさえも。

不意に意識が浮上して、はゆっくりとまぶたを持ち上げた。そこは闘技場内の、にあてがわれた部屋だった。

「……気持ち悪っ」

全身、汗だくである。目尻に涙が浮かんでいることを知ってあわてて拭う。泣くわけにはいかなかった。それでは本当に負け犬になってしまう。
いつでも、実力差のある相手に立ち向かって、負けてもあきらめずもう一度戦って、何度でも向かっていって、最終的にどんでん返しで勝利を収める。それがのスタイルなのだ。しかし、

「(今回は、どうあがいても勝てる気がしない)」

奇術師ヒソカ。
今までに出会ったことのない生き物。
奴は未知の力を持っている。力の差なんてものではないくらいに二人の間には格差がある。どこかの谷なんかよりももっと深く大きく、なにを使っても向こう側へいけなさそうな。

しかし、「できない」で済ませられるほどは諦めがいい方ではなかった。ずたずたに傷つけられた誇りもそれを許さなかった。

「あー……、どうするかなぁ」

頭を抱え、ごろんと寝返りを打つと体中を軋むような痛みが襲った。よくよく自分の体をみると、あちこちに処置が施されている。意識のない内に医者のもとにつれていかれたのだろう。

どれくらいで治るか、なんて思いながらふと視線を感じて頭だけ起こして周りを見回すと、部屋の中に見慣れない人物が存在することに気がついた。まるでそうするのが不自然なことではないという位当たり前な様子でイスに腰を下ろしているが、明らかに不審者だ。

「誰?」
「あ、やっと気づいたか」
「いつからそこに……?」

ばくばくと打つ心臓を落ち着けようと努力しながらも言葉を発する。全く気がつかなかった。それはが起き抜けであるからだとか、油断していたからだということではない。この人物の気配の消し方がただものではない完成度だったからだ。
そいつは男だった。首もとまで伸びる黒い髪にはつやがある。また、瞳にかかった緑色はどこかの森を彷彿とさせる。男にしては華奢な奴だ。服も全身黒ずくめで、瞳の緑だけが浮いて見えた。

「ちょっと前からだよ。俺はサザ、これでもプロハンターやってんだ。よろしく」
「どうしてここにいる?」
「そう警戒すんなって。ただ、念も知らないくせにヒソカと戦って生きてるから凄いなーと思ってさ。様子を見に来たんだ」
「ネン?」

聞き覚えのない単語だ。が思わず声でなぞると、サザ名乗った男は笑みを深めた。

「さっき自分のオーラ、見たろ? さっき、っつっても何時間も前だけど、ヒソカとの試合の時にさ」

どうやらサザに、をどうこうしようという気はないらしい。それどころからこの人物から何かヒソカの強さに関する情報を聞き出せそうだ。そんな気配を敏感に察知したは、素直にサザのことばの意味を考え てみる。

「オーラって、まさかあの湯気みたいな?」
「そうそれ。今出せるか?」

出す? 意味を把握しかねたが、なんとなくはそのやり方を知っている気がして実行した。すると、「なにか」が全身からあふれ だした。これが、突然現れた不審な男の言うところの「オーラ」というやつだろうか。彼女はしげしげと自分の手に纏わるようにして在る「それ」を眺める。

「それ。それがオーラ。生命エネルギーみたいなもんさ。それをうまく使うといいぜ。ヒソカもそうしてる」

サザはそういうとイスから立ち上がり、部屋から出ていこうとした。はあわててその背に声をかける。

「待って」

彼女は痛みに顔をしかめながら起き上がり、正面から彼の目線を受け止めた。

「なんで教えてくれたの? っていうかあなた、ヒソカの友達?」
「友達!? いや、ないない。ただ単に試験で一緒だっただけ」
「試験?」
「ハンターのさ。まぁあいつは試験管半殺しにしたせいで失格になったけど」

ヒソカとは一戦交えたことしかない。だから相手がどんな人間かは直感的なことしかわからないのだが……ヒソカっぽい、とは思った。つい苦笑してしまう。

「なんで念について教えたかは、気まぐれだよ」
「あなたは、このオーラってやつをうまくつかえるの?」
「それなりにね」
「じゃあ存在を教えてくれたついでに使い方を教えてくれない?」

サザはドアノブにかけていた手を離し、もう一度イスに座った。好奇心に満ちた目でを観察し、心なしか低い声でいう。

「使えるようになりたいのか?」
「そりゃそうだよ。だって、それがヒソカの強さの秘密なら……使えるようになれば、私はもっと強くなれる」
「なんで強くなりたいんだ?」
「強い方が戦いが面白くなるし、今はヒソカに勝ちたいから」

サザは浅く笑う。

「好戦的な女だな。戦うの、好きなんだ」
「誰にでも趣味や夢中になるものってあるもんでしょう? 私の場合はそれが戦闘ってだけだよ。戦うのは好きだし、強くなるのは楽しい」
「守るものとかはないわけ?」
「そんなのないよ」

何でそんなことを聞くんだと言わんばかりの表情のに、やはりサザは笑みを浮かべながら口を開く。

「俺の持論だけど、やっぱ人ってのは守るものがあった方が強くなれると思うんだよな」
「そう?」

暗に「そうは思わない」という気持ちを込めては聞き返した。するとサザはきまじめに二回ほど頷く。

「ま、俺の持論はさておき。しばらく暇だし、その間教えてやるよ。念について」
「ほんと? ありがとう」
「やってみたかったしな、人に教えるのも」

彼は一度伸びをすると、わくわくとサザの言葉を待っているに向けて言い放った。

「じゃあも一回寝ろ」
「……ええ!?」

すぐに教えを請えると思っていたのか、拍子抜けした様子の。サザは肩をすくめた。

「あのな、念ってのは能力者の心身の状態にだいぶ影響されるものなんだ。おまえは今へこんでるし傷だらけだし心身共に弱ってる。その状態でどうこうしても何の意味もない」
「そんなことないよ」

彼女はもごもごというが、事実だった。サザはそれを見抜いていて、かたくなな様子で首を横に振った。

「そんなことある。まずは自分をベストな状態に持っていくこと。これができなきゃ教えられないな」
「わかったよ」

そういうと即座に彼女はベッドに寝そべる。そしてすぐに寝息をたて始めた。

「……はやっ」

サザはぼそっと呟く。が、満足げな表情をして部屋を後にした。

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ヒソカにやられた傷を治してからというものの、はサザと共に念の修行に明け暮れた。「強くなるのは楽しい」と言ったことは本当のようで、修行中彼女はいつでも楽しくて仕方がないと言った様子だった。

サザは色々なことをに教えた。念のことはもちろん、天空闘技場の200闘士は全員が念使いであるということや、裏ハンター試験というものがあり、それが念能力を身につけることであるということや、自身の職であるハンターについてのこと。
短期間の間にがサザに持った印象は、気さくで口が軽いというものだった。
は200階で一番にヒソカとあたったことは運が良かったのかもしれないというサザの話は聞き流したが、彼の話すハンターのエピソードの数々には聞きほれた。

「俺はいつか会ってみたいね。ジンっていうハンターにさ」

ジン=フリークスというハンターの話をするとき、サザの緑色の目はきらきらと輝いた。あこがれのハンターなのだという。彼のことを知り、ハンターを目指したのだとか。

――ハンターか。いいかもしれない。

は漠然とではあるがハンターにあこがれを抱き始めている自分に気がついた。サザの話を聞いて、というのが原因の大半を占めるが、一番の理由はハンターについて話すサザを見て、かもしれない。
今までは戦闘にしか興味がわかなかったし、それ以外のものを望んだことはなかった。だが、ハンターについては興味がある。なってみたいかもしれない。

「ハンター試験っていつあるの?」
「この前終わったばっかだから、一年後かな」
「一年か……あれ? サザは裏ハンター試験を終えたばかりってこと?」
「俺は試験を受ける前から念についてはマスターしてたんだ」
「ふうん」

そんなふうに、関係のない話をしつつも修行を積んで、は確実に念能力者としての力を高めていった。
四大行を身につけたタイミングで水見式をしたが、の両手の間でコップの水は体積を増し、机上にあふれた。つまり彼女は強化系ということだ。
それを知った後は念の応用技を一つずつ知り、練習していった。

「ここまできたらとことん付き合ってやるよ」

ある日サザはにやりと笑っていった。

「お前、覚えが早いし意欲もあるから教え甲斐がある」

ヒソカが殺さなかったわけが何となくわかる、といったサザの言葉を聞いてはもう一度自身の中にふつふつとした感情が沸き上がってくるのを感じた。サザに感謝しながらも、彼女は一つの目的に向かって燃えていた。

「(打倒ヒソカ……!)」


日は飛ぶようにすぎていった。
最初こそ念についての修行だけをしていたが、その内サザに頼み込んで、体術など生身の戦闘についての稽古もつけてもらった。
ヒソカに敗れ、サザと出会ってから一年が過ぎようとしている現在までに、は200階闘士に何度も負けていたが、最近では何人かを倒してもいた。
そんなある日の夕方。サザは軽い調子でに尋ねかけた。

「俺はもうそろそろ満足だ。お前は?」

一方のは急な問いかけに一瞬ためらったものの、直ぐその意味をちゃんと悟ってから少し考えて返事をした。

「満足ではないけど、サザがいなくちゃなにもできないってところは乗り越えたかとは思う」
「だな。俺もそう思う」

感慨深げに言って目を細め、サザは続けた。

「俺はここらへんでお前から手を引こうと思う。んで、旅でも始めようかな。ジンさんや他のすげぇプロハンターたちを見習ってさ」
「そっか。……長い間ありがとう。助かったし楽しかった」
「俺もだ。俺も結構楽しかった」

はサザについて、現れたときと同じように突然去っていくだろうとは思っていた。しかしこんなに唐突だとは。面食らってしまったが、そして少し寂しい気もするが引き留める理由もない。

「私もあなたのようにハンターになろうと思うんだ」
「おお、マジか」
「うん。話聞いてるうちに、サザの熱意が移っちゃったみたい」

彼はうれしそうにの話を聞くと、いたずらっぽく言った。

「だったらいいナビゲーターを紹介してやる」
「ナビゲーターって?」
「試験会場まで案内してくれる奴のことだ。ナビなく会場まで行くのは至難の業だぞ」

サザはメモにどこかの住所と名前を書いてに手渡した。

「こいつの眼鏡にかなえば案内してもらえる。お前なら大丈夫」
「ありがとう」

最後に、サザは笑って言った。

「強いハンターになれよ」

もちろんだ。は力強く頷く。こうしてとサザは別れたが、この不思議な縁はきっとまたどこかで二人を引き合わせるだろうという予感が、両者にはあった。
サザが天空闘技場から姿を消した数日後。はヒソカに試合を申し込もうと彼の部屋を訪れたが、留守だった。
そういえばそろそろハンター試験だ。その関係かもしれない。

そこでも試験会場に向かうことにした。手元にある、サザが残したメモの住所に向かうためには飛行船に乗ることだ。ネットで調べてわかったことだが都合がいいことに、最近ハンター試験へ向かう志望者たち用の飛行船が出始めている。
は最後に闘士の一人と戦って、勝利してから闘技場を出た。ハンター試験中にヒソカともう一度戦えることを、密かに期待した。
そしていつかサザと再開したあかつきには、彼にも手合わせ願いたいと思っていた。