欺きの第一歩
予想はしていた……ああ、確かに予想はしていたが、この人は本当に遠慮がないのだな。
私は、にこにこと笑みを浮かべながら冷徹に鞭をふるう紫義隊長の恐ろしさを改めて実感していた。そりゃあ、わかるよ? 倶東国軍を裏切って巫女側につくという設定だから、ある程度死にかけなければならないことくらい。ただでさえ信じてもらえるかどうか危ないところであるのだから、そうでもしなければ信用を得ることはできない。
そりゃあ、わかるよ。
でも普通実際の仲間である部下に、こんなにもためらいなしに、無害そうな笑みを浮かべながら、ひょっとしたら命を奪いかねない連撃を浴びせるか?
答えは否。そうとも、胸を張って言える。少なくとも私の中の常識ではそんなことあってはならない。しかし目の前のこのお方に私の常識は通じないらしい。
そんなことを考えながら避けているせいだろう、死角からせまってきた鞭が私の肩のあたりの肉を削いだ。
「うっ、ぃいいっだだだ!」
血がしみているのだろう。衣服がそれを吸収して重さを増すのがわかる。武器を持たせてもらってない私は紫義隊長の攻撃をはじき返すことができない。ただ避けるのみだ。そんなの、長く続くはずがない。実際に集中力は切れかかっている。おかげで体中ぼろぼろで、軍服の至る所に赤黒い染みができていた。そろそろ本当に死ぬぞ、自分。
「しぶといですね」
ぎりぎりに切羽詰った状況でふと聞こえてきたのは、紫義隊長の小さな声。その血の気が失せてしまうようなつぶやきを聞いて、のどの奥で悲鳴を漏らした。なんだか紫義隊長がこの状況を少し楽しんでいるように思えるのは気のせいだろうか?
いや、きっと気のせいではない――
と、そのとき。
私の背後の木々の間から数本の何かが放たれた。森の中にまで届く少しの日の光を受けて、きらきらと冷たい輝きを見せるそれらは、氷の何かのようだ。それは真っ直ぐに紫義隊長へと向かっていく。
待ち望んでいた人たちが、ようやくやってきた。敵であるはずの彼女たちが神に見えた瞬間だった。
「おい、大丈夫か! ってその格好、倶東国の兵士かよ!?」
隊長から私を守るように立つ男が、目の前の紫義隊長を警戒しつつも私の様子を見て驚きの声を上げた。さらに背後から足音が聞こえて、続いて一つの人影が現れた。
よし、これまでは予定通りだ。私はごくりと唾を飲む。
目撃証言から察するに、巫女たちは偉布礼に向かっているというのがもっとも有力な予想だった。偉布礼には巫大師がいるのだ。残りの七星士の居場所でも聞くつもりなのだろう。そしてそこへ到着する過程でこのあたりの森を抜ける必要がある。そこまでわかったうえで、この森の中で私は紫義の攻撃をかわしつつ走り回っていたのだ。なるべくこの状況で。自然に遭遇できるように。時間を合わせるために、巫女たちがこの森に入るところを確認してから先回りをした。
どうしてこんなに回りくどいまねをするのか。……きっとそれは、もしかしたら巫女たちがそれくらいの手間をかけなければ倒せない相手かもしれないという、討伐隊幹部の結論からだ。
私がその場に崩れ落ちるふりをすると、急いで駆け寄ってきたのは変わった服装の女の子だ。彼女が、巫女。私とほとんどかわらないただの娘じゃないか。いささか驚いて目を見開く。
「大丈夫!?」
声をかけてから、私の軍服を見て、やはり驚きを表した。
「あなたは……倶東の兵士?」
よし、もう腹をくくろう。
私はあらかじめ決めていた役になりきって、うめいた。
「み、巫女さま。お逃げ、くだ、さい」
「え?」
「おや、玄武の巫女に七星士ではないですか。奇遇ですね」
紫義の声が聞こえる。
私は歯を食いしばって立ち上がり、巫女を背に隠した。
「紫義隊長! ……巫女には手出しさせません!」
「」
「私はあなたを尊敬しています、しかし、これだけは譲れません」
我ながらくさい芝居だ。が、本気でやらなければそれこそ本当に殺されかねない。そのくさい芝居にうまく騙されてくれているのか、後ろで巫女が戸惑うのを感じた。油断をせずに紫義に向かって身構えている七星士の男も、わけがわからないようで私と紫義を交互に見ている。掴みはまあまあだ。
「なにがどうなってんだ?」
「七星士殿!」
「おお!?」
声を張り上げると、七星士はびくりと肩を揺らして私を見た。
「巫女さまを連れてはやくここから離れてください!」
「お、おまえ、倶東の兵士だよな? なんで多喜子を」
「説明する暇はありません、早く巫女さまを」
「けどお前」
「くどい!」
若干本気でいらいらとして、一喝する。すると七星士は気圧されたように後ずさりしかけ、途中で我に返って巫女に駆け寄った。
「なんかよくわかんねぇけど、行くぞ、多喜子」
「待って、この人を置いていっては駄目よ」
背後からそんなやりとりが聞こえる。よし、よかった。このまま彼女らが去ってしまっては手間が増えるところだった。
私はキッと紫義隊長を睨む。すると彼はその顔から冷笑を消し、武器を構えた。
「あくまで巫女のかたを持つと言うのですね、」
「ええ」
「あなたには失望しました。……残念です」
私と隊長のやりとりを、後ろの二人が息をのんで聞いているのがわかる。
「しかし、我々倶東国を、……玻慧様を裏切るというのなら」
紫義隊長は大きな声を上げているわけではない。それなのに、その声は私の耳に大きく響いて聞こえた。待って、本気で怖い。
「。あなたは僕がこの手で処刑します」
ぞくり。紫義の紫の瞳が放つ無情な光に背筋があわだつ。
「(これ、演技だよね? 演技だよね!?)」
全身にふるえが走る。立ち尽くす私に四方八方から多節鞭が迫ってくる。
――だめだ、避けきれない。
このとき私は巫女たちの存在を忘れていた。隊長のすばらしい演技のせいだろう。そしてそれによる恐怖のせいだろう。この瞬間、私は自分が本物の裏切り者だと思いこんでもいた。紫義に殺されるのも当然かもしれないという考えが脳裏をよぎる。
だが、彼の武器が私に届く前に、それらをはたき落とした人たちがいた。巫女と、七星士だ。そこでようやく私は我に返った。
「なんだかわからないけれど、あなたは私たちの味方なのね!?」
槍のような武器を持った巫女が問う。私は何もいえないで、二度深くうなずいた。
「なら、行け!」
七星士が紫義にねらいをさだめ、弓をつがえる。
「ここは俺がくい止める!」
「し、しかし……!」
「多喜子!」
七星士のその言葉が合図だったかのように、ぐいっと腕を引っ張られる。巫女は私の手をしっかりと握り、地を蹴った。つられて私も走り出す。
「待ちなさい!」
紫義の声が追いかけてくるが、止まらない。どこか目的地があるのか、道なき道をまっすぐ進む巫女の髪がなびくのをみながら、私は心の中でため息をついた。とりあえず、第一段階は成功だ。
++
この前日に、私は紫義隊長に緋鉛服隊長、そして文甲と段取りを決めていた。
「一般の北甲国民を装って近づくのは、おそらく無理です。兵士としての癖を完全に隠せる自信がありません。だから、いっそのこと倶東国の兵士として巫女たちに取り入ろうと思います」
「と、いうと?」
紫義隊長の促しを受け、私はうなずいた。
「倶東国の裏切り者として彼女らに近づく、ということです。それなら帰るべき場所もなくなりますし……信用を得るまでが大変かもしれませんが」
「お前、なにか具体的な設定でもあんのか?」
文甲の鋭い指摘を受けて私はまた首を縦に振る。紫義隊長に巫女側への潜入の任を受けたときから、どうすれば自然に潜入できるか考えていたのだ。
「はい。こんな設定を」
私は語り始めた。
――私は元々北甲国東部の少数民族。その民族は奴隷狩りの被害を受けていて、私も物心が付いた頃に倶東国へと売られた。また私の民族は巫女と四神を信仰していて、幼かった私にも巫女は護るべき存在として焼き付いている。成長するうちに自分の一族が奴隷商人によって散り散りになり、……要は滅んでしまっていたことを知った私は、とにかく自分がその一族である証がほしくて、巫女を護るという使命を胸に刻む。そこでもっとも巫女の登場に敏感であろう倶東国軍に潜り込むことにした。
「そして巫女が現れたことを知ったので倶東国を裏切って巫女の元へ……というのはどうです?」
「色々つっこみどころはありますが、まあいいでしょう」
「お前、まさか本当にそうなんじゃねぇだろうな」
緋鉛副隊長が疑わしげに見てきたので、私はとんでもないと首を横に振った。
「私は根っからの倶東っこです」
そんな私と緋鉛副隊長のやりとりを完全に流して、紫義隊長が提案してきた。
「……では、僕が軍を抜けようとするあなたに気づき、裏切り者として処刑しようとしている最中に巫女たちと出会うというのはどうでしょう」
「え」
そ、それはちょっと恐ろしいかも……と思ったが、私はこらえてうなずいた。
そこまでした方がいいのは確かだ。
「決まりですね。準備をお願いします」
「今すぐですか?」
「ええ。実行は明日にしますが、仕度をするなら早い方がいいでしょう」
「わ、わかりました」
明日とは、意外と早い。私は倶東国軍陣営をぐるりと見渡した。次にここに帰ってくるのはいつになるのだろうか。とりあえず私物を整理しておこうと自分の天幕に滑り込むと、文甲もついてきていたらしく、私に続いて天幕にはいってきた。
「あれ。どうしたんです、文甲さん」
「一つどうしても言っておきたくてな」
おや、やけに神妙な顔つきだ。
私は首を傾げて彼の言葉を待った。
文甲はやはり真剣な表情でこう言った。
「絶対に、情をうつすんじゃないぞ。巫女は敵だ。それに、本当にお前が裏切り者になったら、あの人らはためらいなくお前を殺す」
「……わかってますよ」
文甲は心配しているのだ。私が巫女たちに情を移し、寝返るのではないかと。私は腹立たしくて情けなくて、目をそらした。
「私、これでもあなたの副隊長でした。そんな馬鹿なまねはしません」
「ああ、そうだろうな」
文甲は少し表情をくずした。
まるで子供に言い聞かせるように、言う。
「万が一だよ」
万が一でも、あるかもしれないと思われるのが嫌なのだ。しかし私は返事をせずに私物をととのえ始めた。文甲はいつの間にかいなくなっていた。
そして翌日、紫義隊長と二人で巫女の通る予定である森へ移動し。紫義隊長に手ひどく痛めつけられ。なんとか第一段階成功に結びついたというわけである。
++
巫女が走るのをやめたので、私も足を止めて辺りを見回した。すると、おびえて私を見る小さな少年が一人。
「み、巫女さま……そ、その人は?」
「大丈夫よ、室宿。この人は敵ではないから……そうよね?」
巫女の確認に、私はひざまずいて頭を下げた。
「もちろんです、巫女さま。私は、元は北甲国に属する燕族の者にございます。しかし、その、七星士殿は平気でしょうか?」
心配するそぶりを装い、背後を見やる。
すると巫女は、
「虚宿なら大丈夫よ。ほら、もう追いついたわ」
確かに遠くからこちらへ近づいてくる音がする。やがて顔を出すと、こちらへ走り寄ってきた。その頬にはいくつか切り傷ができている。もちろん、それをつけた人間は彼しかいない。
「おい、どういうことだ? 説明しろ。なんで倶東国兵のお前が紫義に裏切り者扱いされてんだ」
待っていました。そう思ったが、私はそんなことをおくびにもださず、先日の打ち合わせの時に本来の仲間にした設定の説明を繰り返した。これで、第二段階はおおよそ成功といえる。
「ですから、巫女さま。私は確かに七星士ではありませんし、彼らのように特別な技はあわせもっておりません。しかし、今まで倶東国軍で剣の腕を磨いてきました。どうか、あなたを護らせてください」
だんだん罪悪感がうまれてくる。こんなに嘘ばかりついて……いや、倶東国のためだ。私は心を鬼にする。戸惑う巫女に、もう二言つけくわえた。
「私はあなたのお役に立ちたいのです。それに、どうせもう私に帰る所はありません」
巫女はまだ迷っていたようだが、決心したように眼光を強いものにする。そしてひざまずく私の手をガッとつかむと、何度か深くうなずいた。
「わかったわ。是非、一緒に来て」
「おい、多喜子! そう簡単に信じるなよ!」
「あら、どうして?」
「だってそいつ……一応倶東国軍兵だったんだぜ!?」
「でも紫義には殺されかかっていたわ」
「そりゃ、そうだけどよ」
巫女は虚宿からもう一度私に視線を移すと、少し表情を和らげた。
「それに、同い年くらいの女の子が仲間にいるって、……ちょっといいなと思うのよ」
「……!」
衝撃だった。"同い年くらいの女の子"、なんて認識。甘い。甘すぎる。今世界中から注目を受ける巫女という存在の認識にしては、甘すぎる。それなのに。その言葉に、私は違った種類の甘さも感じていた。
駄目だ。
私は首を振る。
ほだされるな。情は、うつさない。
どうせ裏切る人たちなのだから。
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作戦実行。上手くいくのはきっと最初だけです。笑
( 201004 )