 01
名前がSから始まるあなたは、気の向くままにぶらりと町を歩くと、思わぬ発見や出会いがあるかも。
新聞か何かの端っこにあったそんな占いを信じて、また「思わぬ発見」や「出会い」とやらを求めて、その通りの行動をしたわけじゃない。ただ本当になんとなく町に出たくなって、その欲求に従っただけである。シャルナークは文字通り外をぶらぶらと歩き回っていた。
旅団としての活動に関係してこの町にやってきたのはつい最近のこと。町の地理は紙面上で知ってはいても、身をもって歩いたことはまだほとんどない。それは目的地らしい目的地を見出せない理由の一つだといっていいだろう。
そんなふうに彼はあてもなく、ただ歩くことで適当に時間を潰していた。数時間外の空気を吸い尽くして、日も落ちてきたしもう帰ろうかな、なんて思い始めたときの話だ。
ここは、人通りの多い大通りだ。ただでさえ人口の多い都市として知られているこの町の大通りは、まさに人の洪水が起こっているかのよう。進もうとすると、いつの間にか流れに身を任せているような形になってしまう。そんな中、シャルと同じ流れにそって足を進める人物がいれば、向こうから歩いてくる人間も多数いる。シャルナークと不意に目が合った「彼女」は後者だった。
その人は、シャルの顔をみて驚いたような表情を作り、一瞬あとには笑みを浮かべていた。明らかにシャルを見て、こっちに近づくように、身をよじりながら徐々に人の間をかいくぐってくる。その一連の動きをみても、シャルはあまり表情を変えなかった。しかしその顔の下では色んな思考が行き来する。
あっちの筋の人間だろうか、しかしそうは見えない。
いつかどこかであっただろうか、いや、そんなはずはない。
いくつもの仮定が流れては消去されていく。
その内彼女は人の間を縫ってシャルのもとへと行き着いた。
「お兄さんお兄さん、いま時間ある?」
この言葉を聞いてシャルナークの中に浮上した最有力の仮定は「逆ナンパ」になった。
彼女は子供のように澄んだ瞳を持っていた。頭を包む大きめのくたびれた帽子、そして少し長めの前髪や夕陽による影に隠れて顔はよく見えない。また、彼女の肩には大きめな荷物が下がっている。
「それならさ、絵のモデルになってくれない? そこまで時間とらないから! 私、趣味で絵を描いてるんだ」
これは……?
いまだにシャルはその人の意図をはかりきれずにいた。が、
「……いいよ、暇だし」
そう言ってみせると、彼女は顔全体に笑みを浮かべる。彼女は何も言っていないのに、その顔を見ているだけで「嬉しい」という声が聞こえてきそうだった。ここまで純粋な笑顔を見たのは久しぶりだ。
「じゃあさ、ちょっとついてきてもらいたいんだけど」
いい? と首を傾げる彼女。それにまた愛想笑いを浮かべつつ了解の言葉を口に出すシャルナークは、自身の中に小さな引っ掛かりがあることに気付いた。
――彼女には何かがあるような気がする。勘だが。
「(勘、か)」
一瞬仲間の内の一人の顔を思い出して、苦笑した。たまには自分の勘を信じてみるのも悪くない。小さな歩幅で足を踏み出しながら「こっちこっち」と手招きをする自称絵描きを、追った。
* * *
彼女の名前はと言うらしい。(と自分)の目的地に至るまでの会話で聞き出した情報だ。彼女は躊躇いなく、自分の身分や境遇を明かした。もともと人と話をすることが好きな性質らしい。よってそこまで警戒に値する人物とも思えないけれど、用心にこしたことはない。まだシャルナークはにある程度の疑いをかけていた。
「ごめんね。少し離れてるんだよね、あそこ」
「あそこって?」
「絵を描く場所。この町は人が多いんだけど、あそこは大抵ひと気がないから絵を描く場所として使ってるんだ」
は不安に顔を少しだけ曇らせた。シャルナークの表情をうかがいつつ、言葉を発する。
「やっぱ止めるって選択肢、ありだよ? あなたの不満そうな顔を描く気はないし」
「オレは別に大丈夫」
そういうとは、よかったよかった、とでも言いたげに頷く。本当に素直な反応を返す人間だ。思っていること感じていること、全て筒抜けである。
そんなところを見て、ついに、ほぼ疑う必要はないという結論が出た。今までの彼女の言動は演技で出来るものではなく、また、演技だとしたら数分のやり取りの中でシャルナークが気付かないわけがない。
「それよりちょっと気になったんだけど、君はオレのどんな顔を描きたいの?」
「真顔!」
彼女は嬉しそうに言い切った。一方シャルナークは疑問符を浮かべる。
「真顔?」
「そう。なんか、こう、びびっときたんだよね。あなたが向こうから真顔で歩いてくるのを見たとき」
「へえ、それってどういうこと?」
「うーん、単に整ってるからってわけじゃなくて。なんていうか、ちょうど描きたかった顔だったの」
彼女には彼女なりの基準があるのだろう。そう納得するしかない。シャルナークは一つ息をついた。
この少女とも女性ともつかない彼女は、いわゆる変わり者らしい。
目的地は、喧騒がうずまく町の中心から少し離れた場所にある公園だった。彼と彼女が出会った場所から徒歩で約十分の距離に位置するところだ。
魚の形をしたベンチに座るよう促す彼女に従って、シャルナークは座った。その正面では大きな鞄からスケッチブックと鉛筆を出す。そしてスケッチブックに線を走らせ始めた。
これまでのの一連の動きから察するに、恐らく、絵を描く彼女は真剣そのものといった顔をするだろうというシャルナークの予想は意外にもはずれ、紙に鉛筆を走らせる彼女の顔はどうしたことか眠たそうなものだった。その反面、滑る鉛筆の動きは速いものだ。
――あっという間に、全ては完了したようだ。
「終わった! ご協力ありがとうございました!」
「はやっ、もう終わり?」
「最初に言ったでしょ? あんまり時間はとらせないって」
「確かにそうだけどさ。……ちょっとみせて」
どうぞー、と彼女が渡してきたのは、なんとも不思議な空気の漂う絵だった。確かにシャルナーク本人だ。よく特徴を捉えている。捉えすぎている位で、しかし……妙だった。どこが、と的確に指摘することはできないが、奇妙な絵だった。「それ自身が持つ空気が妙」 そうとしか言いようがない。
正直下手と言っても間違いではない。
「この背景ってなに? オレの後ろにあるのは木だよね」
「なんとなく書いた。強いて言うなら私から見たあなたのオーラ!」
が口にしたオーラという言葉は、念能力の「オーラ」とは違うだろう。そこは、疑う必要も反応する必要もない。シャルナークは彼女の説明を受けて浅く頷いた。そして次に沸いてきた疑問を素直に尋ねかける。
いつの間にか陽は大分落ちてきて、時は夜になりかけていた。なんだかよく分からないことに付き合わされたが、いい暇つぶしにもなったしまあいいか、と考えるシャルナークはポジティブな方だと言えるだろう。
「ありがとうございました。えーっと……そういえば名前、聞いてなかった。教えてくれない?」
「そういえばそうだった。オレはシャル。よろしく」
「シャルかあ。よく響きそうな名前だね。ありがとう」
の心情は本当にわかりやすい。表情からも声色からもまとう空気からも全てみてとれる。今はとても満足をしているようだった。その考えは当たっていて、は伸びをしながら「あー、すごく満足した」と呟いた。
「なにかお礼するよ! できること、ない?」
「へ?」
見れば、はにこにこにこにこと笑っている。意外と律儀なところがあるらしい。
「うーん、じゃあ保留にしといて」
「了解っ……て、そうだ、シャル。もとの場所まで送るよ」
「大丈夫。道は覚えてるから」
「え! 凄いね」
彼女は心底感心してそう呟いた。続けて、私なんてこの場所への道を覚えるのに5往復はしたのに、と小声で言う。
「の家はどっちなの?」
「あっち」
「じゃあオレと逆方向だし、わざわざ送ってくれなくても大丈夫だよ」
「でもつき合わせたのは私だし」
「んー……じゃあ、ジャンケンしよっか」
ジャンケンの結果、シャルナークはチョキ。はパーを出した。彼は一つ頷いて、「じゃ、お互い家にまっすぐ帰るということで」と場を仕切る。
「……本当にありがとうね。ごめんね」
「いいって。もうじき太陽が完全に落ちるし、女の子にそこまでさせたくないしね」
さらりと言い切る彼に、彼女はきょとんとした。普段そういう言葉を聞きなれていないのだろう。彼の言葉にどう返すかしばらく悩んだ様子だったが、やがて照れくさそうに笑った。
「えーっと、お気遣いありがとう」
「どういたしまして」
「じゃあ、ばいばい。私のわがままに付き合ってくれてありがとう。気をつけてね!」
元気よく別れの挨拶をして、は走り去っていった。
小さくなっていく彼女の背を見つめながら、シャルナークはまだ自分の中に引っ掛かりが残っていることを疑問に思った。なにが引っかかっているのだろう。
とりあえず絵を描いている最中に彼女が念能力を発動させていないかどうか凝で調べてみたが、その気配はまったくなかった。何もなかったはずなのに、それでもなにかが引っかかる。
それは初めの方に感じていた、「彼女には何かがある」という勘と同一のものだったかも知れない。
考えても結論が出ず、人気のない広場の真ん中で、一人首を傾げてみた。
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