Scene02

 

 

一ヶ月。クロロがこの店を見つけてから、そして2,3日おきに通い始めてから、約30日が過ぎたときの話だ。

クロロが店に訪れるときはいつでも本に埋もれて読書をしていた女が、初めて立って活動をしていた。どう贔屓目に見ても結果は「骨折り損のくたびれもうけ」に終わるとしか思えない行動、すなわちこの混沌とした本屋の整理を試みていたのだ。

「(この女、歩けたのか)」

失礼ながらも、クロロは本心からそう思った。

「……あ、いらっしゃいませ」

どうやらこの女、読書に集中していなくても鈍い性質を持っているらしい。いつもとまるで変わらない、一歩遅れた挨拶。しかも客に目を向けずに、やはり整理している最中の本だけに集中しながらの挨拶だった。それでもクロロは、好青年に似合う爽やかな声を出した。

「どうも」
「ごゆっくりどうぞー」

やはり女はクロロの方を見向きもせず、作業に耽っている。出される言葉はなんとも機械的だ。この様子だと、クロロが結構な頻度でこの店に来ていることも知らなさそうだった。そうなれば勿論、彼が本を盗っていることにも勘付いていないようでもあった。

クロロは盗みに気付かれないための注意などまったくはらっていない。毎度、バレても構わないといわんばかりに堂々と盗んでいっている。

とはいっても、この店の本の量は膨大だ。その上きれいに並べられているわけでもない。何か事情がない限り、本が減っているなんて気付かないとわかっていての行動だった。

女は小さく「よいしょ」や「よっこいせ」などと呟きながら本の整理らしき事をしているが、クロロの目にはそれは無駄な行動にしか映らない。彼女の姿から目をそむけ、自分の興味を引く書物を探そうと奥の方へ足を踏み出した。

 

この本屋には、興味が尽きない。一体こんなものがどこから入ってくるのだろうか、なんて疑問を感じさせる書物がいたるところに存在する。本当に注意深く見ていないと見落としてしまいそうなところにクロロにとって価値のある本があったりもした。
そのかわり、普通の本屋の店頭で「ベストセラー!」や「ミリオンセラー!」などと派手に紹介されているような本は一冊もない。

まるで「裏」の店のようだ。

しかし、確かにあの女店員からはその手の種類の人間からする独特の気配は感じられなかった。

 

次の日店を訪れた時、女はいつもの通り読書にふけっていた。店の様子が変わらないことから、やはり整理整頓は諦めたらしい。

女は本に目を落としたまま遅れた挨拶をし、クロロはめぼしい本を持っていく。それからしばらくは、そんないつも通りの事が続いた。

また妙な変化が訪れたのは、これから一週間後のことだった。

 

- - - - - - - -

 

「毎度お越しいただき有難うございます」

その言葉はいつもとは違う性質のもので、また、例外的に早いものだった。つまり、恒例の三点リーダがないのだ。クロロが店の扉を開けて入った瞬間、言葉は掛けられた。

女はしっかりと客を、要するにクロロを見ていた。その目には手元にある本ではなくクロロ自身がはっきりと映っていたのだ。
こんなことは初めてだった。
クロロは自分の中にいささか驚きに似た感情が沸いてくるのを感じた。

この店員、気付かないような顔をしていて実はしっかりとオレの存在を認識していたのか。"毎度お越しいただき"というのは、女がクロロを常連だと認めているからこそでる言葉だ。

そして女店員は更に驚くべきことを口にした。

「あなたが好きそうな本、用意してみました」

にっこりと笑って、店員はクロロの足元を指差す。そこには確かに前回訪れた時にはなかった書物の小さな山ができていた。

「もしお気に召しましたら、持っていっていただいて構いません。常連さんにプレゼントです」

女は意味深長な笑みを浮かべる。

まさか、気付いていたのか?
クロロが働いていた「盗み」にも。

もし本当にこの女店員がクロロの気に入りそうな本を選んでいたとしたら、クロロの本の好みを把握している、つまりはクロロが盗っていく本を把握していると言うことだ。

クロロはふ、と余裕の微笑みを見せる。

「ありがとう。お言葉に甘えて、もらっていくよ」

手にとって見てみると、確かにこれらの本はクロロの好みの範疇のものだった。

「……いつから気付いてた?」

クロロは二つの意味で問いかける。
一つ目は、いつから自分が頻繁にここへ足を運んでいる事に気付いていたかということ。二つ目は、いつから盗みに気付いていたかということ。

「気付くって、なにがですか?」

女はにこにこと人のいい笑みを見せている。
こいつは変化系だな、とクロロは予想した。

「オレが本を盗んでたこと」
「随分はっきりと言うんですね。普通の本屋だったらここで通報されてますよ?」

女は意外そうに、そして半ば怪しむようにして言う。
それに対してクロロは清涼感のある笑顔を浮かべる。

「だって君、知ってただろ?」
「まあ、そうですね。実はあなたが頻繁にここに訪れるようになってから一週間位たつまで気付きませんでしたけど」
「オレが常連になってたことは最初から気付いてたってこと?」
「はい。この店にはもともと人が少ないですし」
「でも君、いつも本を熟読してただろ?」
「確かにそうなんですけど、ちゃんとお客さんを見てもいるんです」
「ふーん」

女にはクロロを責める気も、また彼を警察に突き出す気もないようだった。

「オレ、これからもここに通っていいかな」
「あなたの自由です」
「でもここに来ると、好きな本は盗っていくよ」
「それもあなたの自由です」

クロロは少々驚きとも呆れともつかない感情に目を細めた。
この店員は店員失格だ。盗みを認めては店が成り立たないというのに、なんの意図があって「あなたの自由」と言うのだろう。

女はクロロから目を離して、本を開いた。
これ以上のコミュニケーションをとるつもりはないらしい。

「じゃあ、なんで気付いてるってことをアピールしたの?」
「気まぐれです」
「(ああ、絶対にこいつは変化系だ)」
「……」

いつもの通り、黙って読書を始めた女店員に、クロロは最後の質問を投げかけた。

「君の名前は?」
「……

それはいつもの、一拍遅れた返事だった。