この街は、治安が悪い。
「幻影旅団……か」
その日の新聞の一面には、この街一番の大コレクションをほこる美術館が盗賊団に襲われたという事件が載っていた。その盗賊団の名は、が呟いたとおり、「幻影旅団」という。あんなにも多くいた警備員が、皆殺しにされたらしい。恐ろしい限りである。同じ人間のしたこととは思えない。
――私の店には関係のない話だけど。
彼女は新聞紙を適当なところへ置いて、立ち上がる。
背伸びをすると体の節々からパキポキと音がした。
「(ああいやだ、まだそこまで歳はいっていないのに)」
いい加減床に座って読むのではなく自分用のイスを用意しようかな、と思ったその時だった。古い扉が音を立てて開く。コツ と靴を鳴らして入ってきたのは、この店の常連のうちの一人。
「あ、お久しぶりです。カリナさん」
「どうも、お久しぶり」
この町で内科医をしている、カリナという女性だ。いつもこの古本屋に医学書を置いていってくれている。自身は「買い取ります」と何度も言っていたが、「どうせこんなの売れないでしょう?」とカリナはお金を受け取ってくれないのだった。
「引き取ってほしい本を持ってきたよ」
「……今度こそお金を持っていってもらいますよ」
が挑発的に言うと、カリナは鼻で笑う。
「力づくで?」
「はい」
「あたしにかなうわけないでしょ、引きこもりの貴女が」
「引き……」
事実だ。
事実ではあったが、その言葉はぐさぐさと音を立てての胸に突き刺さった。その言葉の暴力に陥落しかけたが、一つ間をあけて気を取り直す。そして強い語調で問いかけた。
「なんで受け取ってくれないんですか」
「あたしは貴女を気に入ってるから」
「それだけの理由で……」
「あれ、わからない? この気持ち」
「わかりません」
きっぱりと断言するに、カリナは渋い顔をした。
「おかしいなあ。わからない?」
「わかりません」
「……おかしいなあ。貴女も、気に入った人に本をただであげてたりしそうなのに」
「そんな損しかしないこと――」
している。
否定しかけて、言葉が詰まった。そういえば自分もしているではないか。の脳裏にはあの黒尽くめの男の顔が点滅していた。
「いえ。なんとなく気持ちがわかった気がしました」
「やっぱり! じゃあ引き取ってね」
「でも」
「大丈夫だって。あたしからしてみればこれは猫にエサをあげる感覚だし」
「エ、エサ。エサですか」
"私は"彼にそんな感覚で本を渡しているつもりはないのに。
はまたダメージを受けて頭を垂れた。カリナにとって自分は動物なのか。そうなのか。そんな彼女の動きを見ようともせず、カリナはニッコリ笑って本にまみれたカウンターに更に自分の持ってきた本を上乗せした。
「ありがとうございます。本当に」
「いえいえ。……ん? 今日の新聞を読んだの?」
カリナの目にとまったのは、先程が放り出した新聞だ。
「幻影旅団。怖いねー」
「なにを基準に盗みをしているんでしょうね」
「さあ。リーダーの好みじゃない?」
皆目見当もつかない、といった風にカリナは肩をすくめる。
そのあと直ぐなにかを思い出した様子で口を開いた。
「そういえば、”旅団を目撃した!”って患者がウチに来たんだけど」
「へえ」
「ちゃんと認識せずに逃げたらしいから確かかどうかはわからないそうだけど、昨夜美術館を襲ったのは若い衆の集まりのようだよ」
「若い衆ですか」
「その中で特に印象付いてるのは、背中に逆十字のある黒いコートの男だって言ってた」
「……逆十字?」
の思考に引っかかったのは、「ルシルさん」の額にある十字のマークのことだった。そういえば深夜彼が訪れたとき、黒いコートを羽織っていた。背中は見ていないから、そこに逆十字があったかはわからない。が、……旅団が美術館を襲った時刻、十字架、黒いコート。
この三つの材料が揃ってしまった今、彼がこの事件と無関係には思えなくなってしまった。
「そう。逆十字には注意だよ。この店に来るとは思えないけど」
「――ですよね」
「あ、でもこの店って意外と穴場だよね。危険かも」
「素直に渡しますから、命は助かると思います」
「わからないよー?」
カリナと会話をしていても、は「ルシルさん」のことが気になってしょうがなかった。
もし、彼が幻影旅団だったら。
そう思うとなんとも形容しがたい気分になった。
――いや。
は頭をふる。
「ないない」
「なにが?」
「こっちの話です」
彼はただの本好きで、ただの盗人だ。危ない雰囲気なんてまったくしない。そうだ、あんな人が幻影旅団なんてありえない。でも想像してみると意外と板についている気が……いやいや。
「変な。あ、貴女が変なのはいつものことか」
「あなたは本当に失礼な人ですね!」
「そんなに褒めないでよ」
「褒めてません」
「とりあえずお茶入れてくれない? 最近変わった患者が多くてさー、話のネタはつもるほどあるから」
「……それは結構楽しみです」
一旦「ルシルさん」のことは頭から追い出して、は紅茶を淹れる。
そのあとは友人から聞く面白い話によって、しばらく彼についてのことは忘れていた。
次に彼が現れたのは、この一週間後のことだった。
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何度か、本気で尋ねようかと思った。
けれどいざとなると「尋ねてどうする?」という声が自身の内側から響いて、何も言えなくなってしまうのだ。
もし本当に彼が幻影旅団だったとして、それがわかったら私はどうする?
「もう来るな」と言うのか?
以前私は「ここに来るのはあなたの自由だ」と言ったのに?
ルシルさんは惑う私を、悟ったかのようなやわらかな表情で見つめてくる。けれど、なにも言わない。そんな彼がたまにとても恐ろしかった。まるで壁ができてしまったかのように、彼に接することが難しくなってしまった。
そのバリケードを作っているのは私なのか、それとも彼なのか。
わからない。
わからない。
悩んだ。
そう、心底思い悩んだ。
――結論が出るのは意外と早かった。
ルシルさんは、ルシルさんだ。
彼が何をしている人であろうと、私にとってはただの「お客様」なのだ。
(……いや、客とはいえないかもしれないけれど)
とにかく、私はもう迷うのはやめた。
彼が旅団であろうがなかろうが私には関係ない。
割り切ってしまおう。
そう決めた。
次からはきっといつも通りだ。
そう思ったのに、そんな理想的なカタチの「次」は来なかった。