人は恐怖を前にすると笑ってしまう、というのはよく聞く話で。そう、「聞く話」でしかなかったのに。今はそれを生々しい現実感を伴って体験している。
店に見知らぬ大柄の男が三人やってきて強盗を働こうとしたときでも、こんなにも恐れはしなかった。
何度も言っているように、この街の治安は悪い。そしての両親は実際にその治安の犠牲となっていたのだから、彼女にもある程度の覚悟はあったのだ。
けれど――まさか。まさか、が大人しくお金を渡しているときに、「(もう真面目に働かないとな。いや、それ以前に私は生かしておいてもらえるのかな)」なんて思いながら現金をまとめているその最中に、彼がやって来るなんて思いもしなかったのだ。
彼は言った。
「なにをしている」と。低く、小さく。強盗達は下劣な声でそれに答える。その最中、三人の内の一人が何かに気付いた様子で狼狽した。
「おい、こいつって」
そう囁くのを、もクロロも聞き漏らさなかった。
――ここでこいつがこんなことを言わなければ、未来は少し変わったかもしれない。
「いつか見た幻影旅団の写真の」
クロロは目をゆっくりと閉じた。
そのあとの彼の動きは、一般人のに見えるはずもなかった。なんとか彼女が見て取れたのは、全てが終わった瞬間だけだ。
いつの間にか、三人の強盗の首は明らかに変な方向に折り曲げられていた。酷い顔色をした三人は体を投げ出すようにして倒れている。その光景を見て、は恐怖した。笑ってしまいたいほどに恐れおののいた。
「……ル」
ルシルさん。
言い終える前に彼の目がを捕らえて、彼女は続きを言えなくなった。その目は深い、まるで深夜のような瞳だった。引きずりこまれてしまいそうな瞳。
見ている内に、どうしたことが恐怖が薄れていくのを感じた。
「あなたは、やっぱり」
「そうだ」
「そうですか」
静寂がこの店を支配する。
それはいつもと違う色の沈黙だ。
クロロは考えていた。なぜ、自分はこの女を救ったのか。
――いや、この女を助けたわけではない。
ただ、この空間はなくすには惜しいと思っただけのことだ。
「あの、ルシルさん」
「クロロだ」
「え……クロロさん?」
は眉根をひそめる。
「本当はクロロ=ルシルフルという」
「(あ、ルシルフルだからルシルか)あなたは、旅団の」
「団長だ」
「え、団長……てことはリーダー?」
「そうだ」
幻影旅団の団長はくつくつと喉で笑い、次に挑戦的な笑みでを見た。
鋭く光る瞳がをつらぬく。
「そうだと知って、お前はどうする?」
は言葉を失った。
まさかリーダーだとは。
あまりにも現実離れしていた――といったら嘘になる。
彼女はクロロが旅団なのではないかと疑っていたのだから。
けれど頭だとは思いもしなかったというのも事実だ。
彼の出す雰囲気というか空気というか、そんなふうに名のつくものが、の身動きを封じていた。
「どうするって、言われても。どうしようもない気が」
クロロはと自分の間の距離を詰めた。彼女は疑問符を浮かべて彼をみる。その顔はあまりにも無防備だった。思わず毒気を抜かれてしまうクロロ。ふ、と息をつく。
「ルシ、じゃなくてクロロさん?」
訝しげなの声に応えることはせずに、その手をとった。
「……振りほどかないのか?」
「え、だって」
「オレはお前を殺そうとしているかもしれない」
「……」
この人は私を試しているんだ。はむっとした。
昔から、相手が誰であろうと「試されること」は嫌いだった。
「昔読んだ本で」
敢えて平然と答える。
「相手に触れると、その人が自分を殺そうとしているかどうかわかるという項目があって。それを試してみたのですが、やっぱりわかりません」
自分の腕を掴んでいるクロロの手に視線を移す。
首をかしげて、こう言ってやった。
「私は逃げるべきですか? それとも命乞いをすべきですか?」
しっかりとした口調だ。
だが語調とはうらはらに、顔色が悪い。
クロロはそれを指摘する。
「顔が青いな」
「私は人が目の前で死ぬのを見るのは初めてなので、流石に気分が悪いんです」
「それはそうか」
クロロは小さく笑っての腕を解放した。
そして踵を返す。
は些か驚きを交えた目でその行動を追い、焦ったように口を開いた。
「クロロさん! もしかしてもう二度とここにはきませんか?」
「明日は来るよ。絶対にね」
その本心はわからない。けれど、の目には、彼の去り際の笑みは少し寂しげに見えた。
突然だが、クロロは扉の開け閉めが上手い。今までこの店を訪れた誰よりも静かに扉を開けて、閉める。今回も軽い音しかたてずに、扉は閉まった。
その姿を見送ったあと、はハッとした。
「この死体……どうしよう」
今の彼女の一番の問題だった。