01. 小心者、ほぼ無理矢理に始動。
=はいわゆる臆病者である。むしろそれの極みといってもいい。
現に今こうして自分の顔色をうかがってびくびくと腰を引かせているわが娘を見て、母親は溜息をついた。
「そんなに怯えることないでしょ? 私はあんたの母親だよ?」
「で、でも……」
は母と目を合わせようとせず、もごもごと呟くように言う。
「なんか、やけに顔が真剣だから」
「そう。じゃあもう察しはついてる?」
「……わたし、仕事はしたくない」
「よかったわね、違うよ。仕事じゃない」
娘はぱっと顔を上げて母親を見た。
その顔には驚きと、ほんの少し希望が入り混じっている。
この子はなにを期待しているのかしらと思いながら母はその希望を一刀両断した。
「安心するのはまだ早い」
「――それはどういう……」
「仕事じゃないけど、あなたにはちょっとした試練を課させてもらう」
「し……試練?」 復唱するの顔は不安げに曇る。
「、あんたはかなりの臆病者だよね。自覚はある?」
「う、うん」
「どんなに弱いってわかってる奴でも、ちょっと敵意をむけられると固まっちゃって。殺しもできないし、このままじゃあんた、この家の一人娘として家業を継ぐことはできないでしょ」
「継げなくても……」
「なにか言った?」
「いえ!」
母はもう一度溜息を吐く。
それを聞いてびくりと肩を揺らしたに、もう一度息をつきたくなった。
なんとかこらえながら、短く単語を放つ。
「ハンター試験」
「! お、お母さん、まさか」
「そのまさか。修行として受けてきなさい。一人で」
の目が大きく開かれる。
その口は「あ」や「う」など多少の動きをみせたけれど、言葉がでてくる事はなかった。
「ライセンスがあればなんでも屋稼業をしていくにあたっても便利だし。大丈夫よ。あんたなら多分死にはしない、と思う。きっと。そうだといいね」
「(は、激しく不安……)」
「ま、念があるから大丈夫でしょ。ちなみに実はもう志願書は出してある。試験開始は明後日だから準備しておきなさい」
「そんなのいきなりすぎるよ……あと、場所は?」
「ふん、聞いて驚きなさい。場所は既に特定してあるから」
嘘だ。嘘だといって。はふらふらと揺れる視界を振り払うようにかぶりを振った。
しかし今までの出来事は全て夢でしたという事もなければ、母が嘘をついているというわけでもなかった。
「もうこれは決定事項よ。思えば私があなたを甘やかしすぎたんだよね……あんた、わかってる? 私があなたをどんな人間にしようとしてたか」
「優しくて、強いひとでしょ?」
月並みな言葉ではあるが、これはいつも言われていたことだ。
「、あなたは優しくて強いひとになりなさい。うちで十年使い続けている雑巾のように!」
と、よくわからない例えと共に日常的に言い聞かされていた。は情けなくも眉をハの字にしながら、母親の瞳を見る。
そこには静かに燃える炎が見えた。
「(あ、このひと本気だ……)」
――こうなったら止められない。
彼女は諦めた。
「そう、優しくて強いひと。前者はクリアしてるんだ、あんたの場合。でも後者が全然だめ! いい、優しいだけじゃだめなの。どんな相手にも全力で挑める強さが必要なの。公私混同をせず、仕事のためなら冷酷になれる強さが必要なの!」
「む、無理……」
「なんか言った?」
「いえ!」
はうなだれる。
自分だって、努力はしているんだ。
一番苦手な「人の敵意」の前に立つ時だって、恐怖にくじかれそうになりながらも必死であらがっている。
でもどうしてもだめなのだ。
怖くて、逃げ出したり気を失ったりしない代わりに、体の自由がきかなくなる。 これはもう病的という域に達してると思う。われながら。は泣き出したいのを我慢して拳をにぎった。
「とりあえず一人でこの関門を乗り越えてきなさい。帰ってくる頃には、きっと少しは成長しているはずだ」
「もし変わらなかったら……」
「最初っからそんな弱気になるな! それでも私の娘なの? やるだけやりゃどんな水平線だってちょっとは近づくの!」
この母親の気の強さは、少し羨ましい。は自分たちの後ろの方で新聞を広げているの父親の方に助けを求める目線を送ろうとしたが、ささっと紙の影に隠れてしまった。
――きっとじぶんは父に似たんだ。
逃げられない。
自分の部屋に駆け込んで、床にぐったりと横たわった。
* * *
なあ、お前。と父親は恐る恐る提言する。
「むりやり継がせることもないんじゃないかな、と思うんだが」
「まあ、大して名のある一家ってわけじゃないしね。ゾルディックと比べるとミジンコみたいなものだし」
「だろ?」
「けどねえ、惜しいのよ。あの子は私達とは違って才に恵まれてる。ほんとに私の子なのか疑わしいくらい。性格的にも」
「ちょっと、お前……」
「ばーか冗談に決まってるでしょ。あの子は正真正銘私達の子だ」
母親はなにかをいとおしむような目つきになった。
勿論そのなにかとは、娘であることに違いはない。
ふう、と本日三度目の溜息をつく。
「だから、なるべくあの子のしたいようにさせてやりたい。逆を言えば、あの子がしたくないことはしなくてもいいと思う」
「それなら」
この家を継ぐなんてことはさせなくても、と続けようとした夫をさえぎって、の母は言う。
「でもね。それは自身がしっかりと口に出さないとだめだと、私は思うの」
鎮火したように見えていた静かな炎は、いまだしっかりと母の目にあった。
その炎は、「母は強し」という言葉を彷彿とさせるものだ。
「自分の意思表示ができないような子にはなってもらいたくない。が一言はっきりと『わたしはこの家を継ぎたくない』といえば、私は認めるよ」
父は言葉を失う。
少しあいた間のあと、やわらかい笑みを浮かべた。
「なんと言うか、お前と結婚してよかったかも」
「かも?」
「あ、いや、よかったさ!」
「あんたのそういうところがに受け継がれたのね」
少し落ち込んでいる夫から、視線を窓の外へと転じる。
「(ハンター試験での経験はきっとを変えてくれる。と思いたい。そうだといいなー)」
娘の断言のできなさ、それはきっと父親からの遺伝だけではない。
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