02. 待機場にて
は受験者らから離れた場所で一人、壁にもたれて立っていた。
自分を送り出した母の顔を思い出す。
――あの顔は本気だった。母がああいう表情をするときは、逆らえないし逆らわない方がいいのだ。
本当は、帰りたくてしょうがなかった。
「100」と記されたプレートを胸につけて、ふうと吐息をもらした。
何事もなく終わればいい。
母は、なにかがあることを望んでいるようだけど。
「やあ、きみは新顔だね」
突如かけられた声に、はびくっと肩を揺らした。
見れば人のいい笑みを浮かべた中年男性が自分を見上げているではないか。
はバクバクと早鐘を打つ心臓の辺りを押さえながら、消え入るような声で「なんですか……」と呟いた。
「(……なんだこいつ。潰し甲斐がなさそうだな)」
に声をかけた男――「新人潰しのトンパ」は内心舌打ちをする。あまりにもチョロそうで面白くない。
自分が手を出さなくとも、きっとこいつは第一次試験で落ちるだろう。
トンパがに抱いた第一印象は、
『運がいいのか悪いのか間違えて試験会場まで辿り着いてしまった、とてもじゃないがハンターになれるような器を持ち合わせていない人間』
というものであり、そう思ってもおかしくないほどのビビり方は頼りなく情けないものだ。
それでもそんなことをおくびにも出さず、トンパはにこにこと笑いながら優しい声を出した。
「オレはトンパ。君は?」
「……といいます」
一方はトンパを警戒していた。
うまく隠しているつもりかもしれないが、トンパからは「敵意」という名のつく空気がにじみ出ていたのだから。
「(きっとこのひとの笑顔は偽者だ。本意は他にある)」 そう予測するのも当たり前で。
だからトンパが軽い自己紹介の後「お近づきの印に」と缶ジュースを差し出したとき、はそれを受け取ろうとしなかった。
「いいです、わたしここに来る前に水分補給は済ませてあるので」
「まーまーそう言わずに!」
思いの他かたくなに缶を受け取ろうとしないに、トンパは軽くいらついてくる。
この手のタイプは他人からの好意を断ったりしないと思っていたのだが。
どうしたものか。
そんな時彼の視界を横切ったのは、目の前にいると同じく今回の試験のルーキーである、銀髪の少年だった。
「なあ! そっちの君も新人だろ?」
トンパの声に、彼はくるりと二人の方を振り向いた。
目付きが鋭い少年だった。それに対して、猫っ毛とも形容できるような銀髪はとてもやわらかそうだ。
片手に抱えられたスケートボードがなんとなく目を引く。
彼は一瞬だけトンパとに目を滑らせた後、とくに感情のうかがえない声で返事をした。
「そうだけど、なにか用?」
「オレはハンター試験受験暦37年のベテラン、トンパだ。君は?」
「キルア」
このとき、キルアの視線はおどおどとしているにあった。
遠慮を知らない目線を送ってくる少年に、彼女は居心地の悪さを感じてうつむく。
次に顔を上げたときには、キルアはもうの方を見てはいなかった。
「お近づきの印にと思って。飲んでくれ」
トンパはに受け取り拒否をされた缶をキルアに向かって差し出した。はぎょっと目を見開く。……とんでもない。
きっとあの缶にはなにか害をなすものが仕掛けられているのに違いないのに。
あわてて止めようとしたその前に、キルアは缶を開けて中身に口をつけてしまっていた。
「ぷはーっ サンキューおっさん。オレちょうど喉かわいてたんだよー」
「ああ、どういたしまして」
トンパは口では「喜んでもらえてよかった!」と言いつつも、裏ではいやな笑みを浮かべていた。
あの缶の中には強力な下剤が入っている。試験が始まったころには、もう受験できるような状態ではなくなっているだろう。
顔に笑顔をはりつけたまま、もう一本缶を取り出して、愕然としているに向き直った。
「さ、君も」
「あ、いや……だから、要らないですって」
「そんなに警戒しなくても何も入ってないから」
「あのー、えっと(絶対入ってる。絶対)」
「要らないんならオレがもらっていい?」
にっと笑って缶を指差すのは、キルア。はまたまた仰天して、声も出せないまま彼をじっと見つめた。
キルアはどこか勝気な空気を纏っていた。
「あ、ああ。構わないとも」
「どーも」
ごくごくと二本目の缶も軽く飲み終えたキルアに、
「……!」
は言葉が出ない。
「おっさん、あんまりしつこいと気持ち悪いぜ? もうやめときなよ、そっちの人にジュースすすめんの」
「そ、そうだな。確かに」
キルアの言葉を受けたトンパは、「ははは」と苦笑いをしてから去っていった。
それを見届けたあとに同じくこの場を後にしようとするキルアを、やっと体の自由を取り戻したが引き止めた。
止めて、その後にどうするかなんてことは決めていなかったが、このまま行かせるわけにはいかないことだけは確かだった。
「ま、待って! さっきの缶ジュース……」
「ああ、オレは大丈夫。鍛えてるから」
「鍛えてるって……」
は自分の正面に立つ少年を目に映す。
鍛えている……毒物に対して、「鍛えている」。そう断言できるこの子は普通の少年じゃない。
試験を受けに来ている時点で普通なんてありえないのだけれど。
「あんた、100番なんだ」
「え?」
気がつけばキルアはの番号札に注目していた。
「オレ99番なんだよね。ヨロシク」
ひらひらと後ろ手を振って、キルアは人ごみに消えていく。
は、ぽかんとその後姿を見送ることしか出来なかった。
「(子供らしくない子だなぁ……わたしよりもよっぽど大人っぽい気がする)」
キルア。キルアか。
その名前を咀嚼するように思い返して、ふと引っかかりをおぼえた。の奥底にある記憶がその名前に反応を示している。
どこかで、確かに、聞いた事がある気がするのだ。「キルア」という名を。
「……?」
しかし、どこでだったか。
いくら考えても思い出せずにその内は考える事をやめた。
「(とにかく、あの子には感謝しなきゃ。機会があったらなにかお礼をしよう)」
これは借りを作ってしまったということに他ならない。
借りは必ず返すこと。それは今までの十数年間の人生で、唯一両親に叩き込まれたポリシーである。
は再び俯く。
そして手を組んで、このあとのことに思いを馳せた。
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