もう悲鳴は聞こえず、奇怪な動物たちの鳴き声しか聞こえない。そんな湿原の中を、三人は走っている。
ゴンの動物も顔負けの嗅覚が彼らを導いていた。
ゴンとクラピカはもう思考を切り替えているというのに、はまだ先程の出来事の一部始終を思い出しては悔いていた。
何とか助かりはしたが、どちらかというと自分の力で生き残ったという訳じゃない。
奇術師に「生かされた」といったほうが正しいのだ。その事実はを酷く複雑な気分にさせた。
借りといえば、ヒソカに連れて行かれた半裸の男、レオリオにも恩を感じていた。
例え彼が自分を助けるつもりでなくても、自分は彼に助けられたのだ。
そして、ゴンにも。
この試験が始まってから、もう既に三人に借りを作ってしまった。キルアにレオリオ、そしてゴンの三人だ。
借りを作れるような人がいて嬉しい、とは思う。しかしこれでいいのか自分。いや、よくない。いいはずがない。
やはり複雑な心境である。
が顔を曇らせていると、隣を走っているクラピカがそれに気付いた。
「どこか痛むのか?」
突然に声をかけられて驚く。横を見ると、クラピカが彼女を案じるような表情をしていた。
居心地が悪い気持ちになって、彼女は直ぐに目を逸らす。小さな声で否定した。
「……ううん」
「そうか、ならよかった。もし何かあったら遠慮せずに言ってくれ。女性一人運ぶこと位容易いからな」
クラピカはそう言い切ったあと顔を正面に戻した。
実際、ヒソカの蹴りが入った脇腹は一見酷い痣ができてはいたが、痛みはそれ程のものでもなかった。
流石にその箇所を手で圧迫すると息が詰まるような痛みがするが、何もしなければ大丈夫だ。
もやもやとした気持ちをいまだに内にキープしながら、走る。
ひたすら走っても気分が切り替わる事はなくて。
「(私は本当に……気が小さい)」
もう一度、ひっそりと落ち込んだ。
***
やがて第二次試験会場に辿り着いた時には、はゴンを本気で尊敬した。
とんでもない嗅覚だ。一体どんな環境で育ってきたのだろう。
会場に着き、辺りを見回すとヒソカがいた。彼は三人の姿を確認すると、薄い唇をほころばせ、ある一本の木を指差した。
その木の根元にはレオリオが横たわっていた。
ヒソカに殴られた衝撃で、彼からは湿原に入った辺りから今までの記憶が抜けてしまっているようだった。
「言わないほうがいいな」
「そうだね……」
クラピカとゴンはひそひそと耳打ちをする。
そんな中ひとり葛藤に苦しむ。
「(お礼言わなきゃ……でも覚えてないんだったら「何こいつ」とか思われるんじゃないかな……怖い)」
「ところで、そっちのお嬢さんは?」
「!」
急にレオリオの意識が自分に向いて、はすっ転んでしまいそうになるほど吃驚した。
彼は興味津々と行った目でを見る。は内心あわあわとしていた。どうしよう。何を言えばいいだろう。
「あ、この人はっていって、オレの友達なんだ。レオリオのこと庇ってくれたんだよ」
「庇う? 何から?」
「あ。え、えーっと……」
ゴンは言いにくそうに言葉を濁す。
「よくわかんねえが、とりあえずありがとうな」
「あ、いや……わたしもあなたに助けてもらいましたから。ありがとう」
い、言えたー! は心の中で大きくガッツポーズをとった。
記憶の無いレオリオはやはりきょとんとするが、が自分に感謝している事は感じ取ったらしい。
頬が大きく腫れていたから笑みづらそうだったが、ニッとできるだけ口の端をあげて笑った。
「ゴンの友達ってんなら遠慮はしねえぜ。でいいか? あと敬語もやめてくれよな」
見る限りレオリオは二十代はいっていそうで、そうなるとよりも余裕で年上だ。
そんな人に敬語を使わないというのは少し抵抗がある。彼女が戸惑っていると、クラピカが助け舟を出した。
「。彼は、見えないかもしれないが私達と同じ十代なのだよ」
「え。えええ!?」
「お前もそんなリアクションとるのかよ! ひでえな!」
「だって、本当にそう見えないから」
「オレってそんなに老けてるか?」
「ううん、老けているっていうか……大人っぽい」
「そ、そうか? そういうことか」
レオリオはの言葉に機嫌を直したらしい。
「ま、なんにせよこれからよろしくな、」
「うん、よろしく」
その後既に到着していたキルアと再会し、やがて第二次試験が始まった。試験官は美食ハンターのメンチとブハラ。
まず巨漢であるブハラから出された課題は、豚の丸焼きを作る事だった。
ここにいる豚はグレイト・スタンプという凶暴な豚。
はこれを、木の上から豚に飛び移り、鎖鎌の分銅で頭を殴打する事で捕らえた。
が、問題は次のメンチから出された課題だ。
「二次試験後半。あたしのメニューは、スシよ!」
スシ?
この場にいるほとんどの人間が、その二文字に頭を傾げた。
それはも例外ではない。
会場にある建物には沢山の水道と調理に必要な設備が設置されていた。
ライスと包丁にまな板だ。これらを使う料理、スシとは。
「これは最大のヒント! スシはスシでも、ニギリズシしか認めないわよー!」
ニギリズシ? ますますわからなくなってきた。それはの隣にいるレオリオも同じようだ。
「ニギリか。大体料理の形ははっきりしてきたが、肝心の食材が全くわからねーぜ」
「包丁で何かさばくみたいだよね……まさか、虫を使うとか」
「げっ 、お前趣味悪いな」
「い、いや、あくまで想像の範囲だよ!」
二人が色々と想像を膨らませている傍らで、クラピカはしゃもじについているご飯粒を一つとり、口に含む。
「――二人とも」
「なんだ、クラピカ」
「しっ」
クラピカは人差し指を唇の前で立て、声を潜めた。
レオリオとは、彼の小さい声を聞き取ろうと身を乗り出して耳をそばだてる。
「スシについて、文献で少し読んだ事がある」
「マジか」
「(文献?)」
物知りキャラか。は感心してクラピカを見た。
ゴンの友達には、色んな人がいる。
「確か、酢と調味料を混ぜた飯に新鮮な魚肉を加えた料理、のはずだ」
「つまり、米と魚を使う料理ってことかー……」
「そういう事になるな」
「魚ァ!? お前ここは森の中だぜ!?」
「声がでかい!」
レオリオが思わずだした素っ頓狂な声は、もちろん周りの人間にも聞こえていた。
皆は揃って調理場から駆け出る。
我先にと川を探して走っていく彼らの姿を見て、クラピカは溜息をつき、レオリオは額に青筋を浮かべた。
「盗み聞きとはきたねー奴らだ!」
「レオリオ、今のは盗み聞きとは言わないよ……」
は苦笑いをする。
レオリオはおかしな人だ。一言で言うと、単純、なのだろうか。打てば響くような反応を返す人である。
「私達も早く魚を捕ってこなければ」
「そうだな」
「確かこの近くに大きな湖があったよね」
他の受験者たちに先を越されてしまったが、遅れを取り戻すかのように三人も急ぎ足で魚釣りへと向かう。
流石はヌメーレ湿原。そこで捕れた魚は、今までに見た事がない異形の魚たちだった。
さっさと調理場に戻り、まな板に魚を乗せる。
びちびちと気持ち悪い動きをしていた。
「(包丁を使うということは、この魚を半分にするのかな?)」
とりあえずやってみよう、と恐る恐るが魚の頭を押さえた時だ。
魚は思い切り胴体をくねらせ、その長い尾での顔を思い切りひっぱたいた。
かなり予想外で気色の悪い動きだったということもある。
いきなりすぎたのもあり、また張られた頬が意外と痛かったという事もある。
は、形容しがたい――強いて表すなら「うおわああああっ」といえるだろう、つまりは女らしからぬ悲鳴をあげた。
驚きと共に包丁も放り投げ、そしてしゃがみこむ。
「!?」
「あっぶねーな、包丁投げんなよ!」
彼女の投げた包丁の行き先にはちょうどゴンとキルアがいたらしい。
キルアはそれを片手で受け止め、しゃがみこんでいるに近づいた。
ゴンもそれに続く。
「これ、返すよ」
キルアは言いながらのまな板で跳ねている魚にそれをつきたてた。はそんな様子を見る余裕がない。
その場にしゃがみこんだまま、ぴくりともしなかった。そんな彼女を心配したゴンが声をかける。
「、どうしたの?」
「……魚」
「え?」
「サカナコワイ」
ようやく顔を上げる。その顔からは血の気が引いていた。予想だにしなかった答えに、ゴンは目を点にさせる。
「ぶっ」 キルアは口を押さえた。
「あはははははは! 魚にびびったんかよ! ショボっ!」
「だ、だって」
「なんだよその顔ー! 変な奴っ」
段々と恥ずかしくなってくる。顔に血が上り始め、はまた顔を伏せた。まだ笑い続けるキルアをゴンが諫めるが、あまり効果はない。
キルアの笑い声が止まるまで、は穴があったら入りたいという気持ちのまましゃがんでいた。
その内「スシ」なるものの正体を知っていた受験者がその作り方をばらすというアクシデントがおこり、大抵の受験者がちゃんと「ニギリズシ」と持ってくるようになったのだが。
「駄目。やり直しっ」「これもやり直し! 形が悪い!」
「……ネタに体温が移ってる。やり直し」
「駄目!」「アウトっ」「論外!」
明らかにハードルが高いメンチの審査に通るものはとうとういなかった。
時間が過ぎて、
「悪い。お腹いっぱいになっちった!」
頭に手をやりつつ全く申し訳なさそうに言い切るメンチ。受験者達は呆然とした。この時点で、合格者は0人だったからだ。
またその場が殺気立ち始める。今までに比べていくらか強い殺気だ。
受験者たちの不平不満が色濃く表れているような空気。
動きづらくなるのが嫌で、は集団から離れた場所に立った。
「(もしこれで不合格になったら……)」
家に帰ってもいいのだろうか。望んでいたことだったが、いざそうなってみると、あまり気が進まなかった。
両親はなんというだろう、どんな顔をするだろう。はありもしない想像をして、泣きたくなった。
彼女は誰かに失望される事も酷く怖いのだ。
離れたところにいるから良く分からないが、前のほうから轟音が聞こえてきて、ぎょっとした。
受験者の一人が何か騒ぎ立てている。怒声と、何かが壊れる音。この殺伐とした雰囲気を嫌だと思う。
しかし、そのすぐ後にそいつは殴り飛ばされたのか、血を吹きながら調理場の外へと飛んでいく。
は自分を掠めてとんでいったそいつを間抜けに口を開けながら見つめた。
「どのハンターを目指すとか関係ないのよ。ハンターたる者武術の心得があって当然!」
メンチに絡んで伸された先程の受験者の怒鳴り声と違い、彼女の声は良く通って聞こえた。
――それともう一つ、実はさっきからずっと聞こえている音がある。
は出入り口のすぐ近くに立っていたから、余計にその音は聞こえてきた。
ゴウン、ゴウンと繰り返される機械的な音。これは……飛行船だろうか。
「武芸なんてハンターやってたらいやでも身に付くのよ! あたしが知りたいのは未知なものに挑戦する気概なの!」
「そうだとしても、合格者0はちと厳しすぎやせんか?」
飛行船の方から聞こえてくる声。ここでようやく受験者達は飛行船に気付き、外に出た。
その際にキルアに声をかけられた。
「お前、いつの間にあそこから消えてたんだよ」
「あの空気、ちょっと苦手で」
「へー」
自分から聞いてきたくせに、どうでもよさそうな返事だ。そのままゴンとキルア組と共に外に出て、様子を見る。
受験生が全員外に出てきたタイミングを見計らったかのように飛行船から何者かが飛び降りた。
その人は、長く白い髭を生やした老人。
しかし高い位置にある飛行船から降り立って平気な顔をしているところをみると、明らかにただものではない。
予想は当たっていて、彼はこのハンター試験の最高責任者、ネテロ会長だった。
彼はメンチからじきじきに事情を聞き、一つの提案をする。
もう一つ、今度は審査員の実演つきで新しいテストをするようにと。つまり不合格は取り消しだ。
飛行船に乗せられて辿り着いた場所は、すこしはなれたところに位置していた山の頂上。
大きな谷がぱっくりと口を開けている。見ているだけで吸い込まれてしまいそうなそこに、は眩暈を感じた。
ここから飛び降りて、谷の下方に意図で吊るされているクモワシという鳥の卵をとり、また崖を伝って登ってくること。
それが新しい試験である。そして一連の動きを、メンチは見事実演して見せてくれた。
「あーよかった」
「こういうの待ってたんだよね」
ゴンとキルアは明るい声でいう。えっ、とは二人を見た。
レオリオもクラピカも、こういうテストの方がいい、というようなニュアンスを感じさせる台詞をはく。そして谷から飛び降りた。
勢いに乗せられて、も一緒に。
命からがら。
そんな様子で頂上に戻ってくると、既に何人かはそこに辿り着いていた。
同じく頂上にいる者には今年の試験を諦めた者もいるようだ。
クモワシの卵をゆでて食べると、それはそれは美味しいものだった。
勇気を振り絞ってとってきてよかった、と思う。それくらいに。メンチに食って掛かっていたあの受験生も納得したようだった。
メンチは微笑む。
そして高らかな声を上げた。
「第二次試験通過者、42名!」
その中にはも含まれている。彼女は大きな安堵の溜息をつき、そのあと、ゴンやキルアと手を叩きあった。