08.うまれたきずな・続

は鉢会ってしまった。
血の匂いを纏っている、キルアに。


一瞬、彼女は眩暈を感じた。何がどうなっているのか、よくわからなかったのだ。
まだ新しい、血の匂い。これが指していることは……つまり。
キルアが人を殺したということだ。

しかも、もしそれが事実ならば、彼が人殺しを働いたのはついさっきの話であることになる。

血の匂いだけならば、怪我をさせただけ(もしくはしただけ)という可能性もないことはない。
しかし、匂いの濃さがただごとではなかった 。
そして何より、経験は少ないながらも一応裏家業に片足を突っ込んでいるの勘が、彼が人を殺したのだという事を察知していた。
そして決定打はキルアの、どこか暗い瞳だ。

じゃん。どうした? 迷ったのかよ?」
「ううん。ちょっと喉が渇いたから……」

彼女はキルアの顔をまっすぐ見れず、彼の足元に視線を落とした。

「そ、それじゃ」
「――待てよ」

はキルアの右側を通り抜けようとしたその瞬間、腕をつかまれた。
そして低い声で問われる。

「もしかしてお前、気付いてる?」
「え……」
「血の匂い」

はハッとして目を大きく開いた。彼女の腕を放そうとしないキルアの表情は、影で隠れて読み取れない。
焦る。心臓が早いリズムを刻みだし、汗が滲んできた。
どうしよう、どうすればいい。が戸惑っていると、キルアが口を開いた。

「オレさあ、キルア=ゾルディックって言うんだ」
「!」

その名前には聞き覚えがあった。初めてキルアと聞いたときからうまれていた引っかかり。
それがみるみるうちに溶けていく。そうだ、ここで聞いたのだ。――ゾルディック家。

それは、世界有数の暗殺一家を示す名前。彼らの姿を見たことがあるものは誰一人としていないという。
の家は依頼が来れば殺しも引き受けるようなところだ。
広い意味でゾルディックは同業に値する訳で、だからは彼らについてそれなりの知識を持っていた。
キルアの名前もその一つである。

「……その反応、やっぱり知ってるんだ。オレたちのこと。も裏稼業の人間だろ? そんな感じがしてた」

ここでキルアは掴んでいたの腕を解放した。
彼女は何も言うことができず、黙っている。その様子を見て彼は目を細めた。

いやな沈黙がこの場を支配する。数分後にそれを破ったのは、キルアのほうだった。

「……なあ。

声をかけながら、彼女と自分の間合いを詰めるキルア。
混乱状態に陥っているはそれに過剰反応して、思い切り後ろに身を引いた。
しかしそこには壁があったため、間抜けにも思い切り壁に激突する形となる。

「痛っ……」

いつものキルアならここで噴出していただろう。
そして笑いながら「ドンくせー!」と彼女を馬鹿にしても不思議じゃない。しかし、今のキルアはいつもとは違った。
もそれを重々承知している。

キルアはが取った分の距離を一歩で詰めて、真意が見えない表情で尋ねた。

「オレが怖い?」

この問いは。

は息を詰める。あの奇術師――ヒソカの顔を思い出した。
「ぼくが怖い?」
今日、そんな問いをかけられたのをまざまざと思い返す。
の内側で、キルアとヒソカが重なって、彼女は震え上がりそうになった。

このとき、はキルアの言うとおり、恐怖していた。
恐る恐る彼をうかがうと、今や彼の顔は暗い笑みをたたえていることが知れた。
背景に、あの世界的に有名な殺し屋一家を嫌でも連想させる、そんな笑みを浮かべていたのだ。

「(……でも)」

気付いてしまった。彼の目の奥に、寂しい光がともっていることに。
その瞬間、の恐怖は氷が解けていくように小さくなり、消えてしまったのだが。
それでも、彼女はまだ何も言葉が発せない状態にあった。

何か、何か言わなければ。

が自身の勇気を精一杯振り絞って「キルア」とその名前を呼ぼうとした瞬間のことである。
キルアは何を思ったのか、おもむろにの頬に手を触れた。そしてただでさえ近い距離をもっと縮めてくる。

「ちょちょちょっとタンマ!」

瞬時に妙なことを想像してしまったからは緊張も焦りも何もかもが吹き飛んでしまった。
あろうことか彼女は顔に血を上らせて思い切りキルアを突き飛ばしてしまう。

「いっ……てーな! ちょっとは加減しろよ!」
「ちょちょちょっといきなり何するのキルア!」
「それはこっちの台詞だっての!」
「キルアが必要以上に近づいてくるからでしょ!?」

必死になったが言い返すと、キルアは「なっ」と言葉を詰めて、微かに顔を赤くした。

「はあ!? 顔赤くして、子供相手に何を想像したんだよ変態!」
「へ、変態!?」

彼女はその四文字にショックを受ける。
拳を握り締めて、言い放った。

「ちっとも子供らしくないくせに! 仕方ないじゃん!」
「……お前なぁ!」

次は何を言われるか、とは心の中で構えた。
しかし少し待ってもキルアの口から次の言葉が出てくる気配はない。だが油断はできない。
彼女が何も言わずに待っていると、キルアは手で口を押さえた。

「……くっ」

そして小さく声を漏らす。明らかにに対する暴言ではない。
彼女は首を傾げた。

キルアは突然笑い出した。

「はははは! あーあ、空気ぶち壊しだな」
「あ……ごめん」
「謝んなくていーよ。ぷっ……あははは」

良く分からない、が……先程までの嫌な雰囲気はなくなっていた。それはを深く安心させる。
キルアはひとしきり笑い続けたあと、まだ笑い足りなさそうな様子でこう言った。

「お前も変な奴だな」
「いや、キルアのほうがもっと変だよ」
「えー、そうか?」
「うん」

心底そう思う。先程まで陰のある笑みを浮かべていたかと思えば、今はこうして目の前で子供のように笑う。
にとって、まだキルアは良く分からない人物だ。
しかし……嫌いではない。絶対に、それだけは違う。

「あのさ、怖くないよ」
「は?」
「キルアは全然怖くない」
「……でもお前さっきビビってたじゃん」
「え。いや、あ、あれは違うって」
「どう違うんだよ」

なんと的確なつっこみか。は怯んだ。
どう言い返そうかと悩みに悩んだ末、答える。

「あ、あれはデフォルトだから」
「ああ、そっか。素でビビりだもんなー」

彼女は「我ながらなんて情けない」と落ち込みかけたが、ぐっとこらえる。ここで弱気になったら負けだ。

「なんだ、わかってるんじゃん」
「初めて見た時だってあんなおっさんにビビってたしな」
「だ、だって」

しかしすぐにくじかれそうになってしまう。
コロコロと変わるの様子がおかしいのか、キルアはもう一度短く笑った。

「そういえばさ、キルア」
「ん?」
って知ってる?」
……いや、知らないけど」
「そっか。やっぱり弱小だもんなあ」
「お前の家?」
「うん」

彼女が自分の家のことを話すと、キルアはもう一度自身の記憶を探るようにまぶたを伏せる。
しかしやはり思い当たるところはないらしく、軽く首を横に振った。

「やっぱり知らねーや」

まあそうだろうとは思っていた。
彼女の母親もよく自分達はゾルディックに比べたらミジンコだと言っていたのだ。

「キルアって、面白そうだからって理由で受験してるんだよね」
「そうだよ。でも拍子抜けだな。あんま面白くない」
「ふーん……家の人に受けて来いって言われた、とかそう言うんじゃないんだ」
「まっさか! つーかオレ、今家出中だし」

軽く口に出された聞き捨てならない言葉に、はむせた。目を見開いてキルアを見る。

「い、今なんて!?」
「母親と兄貴刺して家出してきたんだ」
「ええー!? それまた、なんで……」

事情を聞くと、なんでもキルアが他人にレールをひかれた人生が嫌だというようなことを言ったら彼の母親が激怒して反対してきたので
母親を刺し家を出て行く最中で兄に邪魔をされたから兄を刺し、ということらしい。

「だって自分のすることは自分で決めたいじゃんか」
「……」

キルアの言葉がぐさりと突き刺さる。

は、まるで彼と自分は正反対だと思っていた。
親に言われて受験をした自分。親に反抗して家を出、試験を受けた彼。
レールをひかれる人生など嫌だとはっきり言った彼。
同じことを思っていても何も言えない自分。
自分のすることは自分で決めたいと言う彼。
最早諦めて、流されるままの自分。

「(――いや、さっきわたしは成長するって決意したばかりじゃないか)」

ものの数十分後にくじけてどうする。はそう自分に言い聞かせた。

「あ、お前喉渇いてるんだっけ?」
「そういえば、そうだった」
「すぐそこにある。自動販売機」

キルアの指し示す方向へ向かうと、確かにそこには自動販売機があった。
はそこで苺牛乳を買う。少し考えた後、もう一本の苺牛乳を買った。

駆け足でキルアのいたところに戻る。いなくなっていたらどうしようかと思っていたが、彼はまだそこにいた。
そこで、外の眺めを見つめていた。

「キルア、これあげる」
「お、さんきゅ」

はキルアの隣に並んだ。そして夜景を眺める。
今はどこかの都市の上を飛んでいるのだろう、下にはキラキラと輝く街頭の類の数々が見えた。
ちらちらと点灯するそれらは、ベタな比喩をすると、まるで宝石のようだった。

「うわー、綺麗だね」
「そうだな」

三次試験の会場に到着するまで、二人はそこで過ごした。外を眺めたり、他愛のない会話をしたりして。
途中からは立ちながらの居眠りを始めたが、キルアはそのことに気付いてからもの隣から離れることはなかった。
たまに苺牛乳をすすっては、その甘味を舌で実感する。

「(甘い……)」

左をみれば、が器用にも立ったまま睡眠をとっている。
殺し屋だということを告白した時に見せたあの反応はもう名残すら残っていない。

「(変な奴……本気でオレのこと怖くないのか?)」

彼女は「ゾルディック家」を知っている筈なのに。
知っていてなお、自分の隣で無防備に眠っているが些か信じられなかった。

「(まあ、悪くはない、かな)」

から目を逸らして再び夜景を眺め始めたキルアの表情は、少しだけ穏やかだった。


――やがて夜は明け、またハードな一日が始まる。