四次試験の舞台、ゼビル島での滞在の期限はちょうど一週間。その間はサバイバル生活になるというわけだ。
受験者達は島の岸で説明を聞いていた。
穏やかな気候である。小鳥がさえずり、柔らかな風が木を揺らす。
葉のこすれあう音がさわさわと響いている。ヌメーレ湿原とは大違いだった。
これからの一週間のなかでどんなことが起こるのだろう。予想はつきそうで、つかない。
ただ、ここにいるのは今までの試験を乗り越えるだけの手腕のある者たちがほとんどだ。それにくわえて今回の試験の内容。
――今まで以上に神経を使わなければ、生き残れない。全員が、それだけはよく分かっていた。
やがて軽い説明が終わると、ハンター協会の女性は手を振り上げ、高らかにスタートを宣言した。
「それでは1番の方から、スタート!」
ヒソカは余裕ある表情で島の森の中へと消えていく。
そこでようやく受験者たちの胸に四次試験が開始されたという実感が沸いてきた。
この島の森は深く、広い。その中に受験者の一人、ヒソカが入っていくことで森の雰囲気が少し暗さを増したかのように思われた。
誰かの喉がごくりと音を出す。女性はヒソカの背が完全に見えなくなったことを確認すると、次をコールした。
「2番スタート!」
「(……あ、そういえばわたしとギタラクルは同時到着だったっけ)」
が戸惑ってギタラクルの方をうかがうと、彼は森に向かってすでに歩き出していた。
つまり自分は3番の時にスタートすればいいということか。
それを確認して、僅かに空いた時間に挨拶をしてしまおうと彼女は仲間達の方を振り返った。
「わたし、次だから。一週間後にまた会おうね」
四人は不意をつかれたような顔をする。しかしそれは、ほんの一瞬だけのことだ。
すぐに四人は、の背を押すような笑みを浮か べた。
レオリオは人差し指と薬指を立て、傾けた形で額の前に出す。クラピカはこくりと頷く。
ゴンは「うん!」と拳を前に出し、キルアはまっすぐにを見た。
「どうにかして生き残れよ」
「……努力する。皆も、頑張って」
「3番、スタート!」
は仲間達から無理矢理目をそむけ、森と向かい合った。
正直に言ってしまうと、怖い。
この森の中に入っていくことが、怖い。
けれどいつまでもここにいる訳にも行かない。入っていかなければ始まらないのだ。
一歩踏み出す。そして更にもう一歩。
仲間達の表情を思いだしながら、もう一歩。
重かった足取りは、進むごとに軽くなっていった。
「(四次試験、開始)」
ある程度歩を進めたあたりで、自分自身でもう一度コールをする。
そしては音や気配を極力抑えつつ、森の影に紛れて奥へ奥へと足を運んだ。
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この無人島で日が沈むのを見るのは、これが二度目。
ぽつねん、という音が聞こえてきそうだった。暗い森の中で呆然として立ちつくす。
はっと我にかえったときに、ひとりでに口から言葉が漏れてしまった。
「まずい……」
そう、実に「まずい」状況だった。
試験開始からすでに三日がたとうとしている現在までに、誰一人と接触することが出来なかったのだ。
「(エンカウント率低すぎるよ……これ)」
積極的に探し回らなければ、このまま誰にも会えずに終わってしまいそうだ。
それは流石にごめんこうむる。は覚悟を決めて、気を引き締めなおした。
今回の試験においての彼女の作戦は、こういうものだ。見つけた相手に気付かれないように近づき、気絶させてプレートを盗る。
つまり、相手が敵意や殺意を抱く前に叩くということ。
これは今まで生きてきたなかで半ば無理矢理にやらされていた、「なんでも屋稼業」の仕事の場でもよく使っていた。
自分よりも実力が劣るものに関してはかなり有効な手だ。
もちろん、自分に勝る相手を見つけたとしたら近づかずに、これまた気付かれないように逃げる。
この手段のほかに成功しそうなものはなかった。
真正面から堂々と、というものではないが、これは狩り。身を隠して隙を狙うのは狩りの一つの常套手段。
わかってはいても少し良心が痛んだが、気付かないふりをする。
結局、彼女はクラピカを狙うつもりはないようだ。
――よくよく考えてみたところ、そんなこと、できるわけもない。
クラピカはの最大の弱点を知っている。彼ほどの頭脳を持つ人間なら、前もっていくらでも対策を練ることが出来る。
またそれを抜きにしても、理屈じゃない、気持ちの問題で彼を蹴落とすような真似は出来ない。彼女はそういう性分の持ち主だった。
「面倒臭いな、われながら」
誰もいない状況をいいことに、ひとりごとを呟いてみる。
そのあとは黙って足を動かした。
ただひたすら、誰もいない道を警戒しながら進むのは、いささか切ない。
何度か休憩を挟みながらも歩くことだけをしているとやがて小さな池に出た。
木の陰からそこら一帯を視認し、はっとする。ようやく一人の人間を見つけた。
プレートにあるナンバーは89。細い目に割れた顎、肩まで黒い髪を垂らした、それなりにガタイのいい男だった。
どうやらこの池のほとりで休息をとっているらしい。
「(チャンス……!)」
相手はに気付く様子もない。襲うなら、今が好機。
しかしここで思い出してもらいたいことがある。
彼女は生粋の小心者だということだ。
「(今が最大のチャンス、もうこんなことはないかもしれないのに……)」
これはチャンス、チャンスだ、と自身の中で繰り返すだけで、いっこうに足が動かなかった。
もう諦めてしまおうか。ぐずぐずとして、挙句そんな考えに辿りついてしまいそうになっている。
それでもここで89番を見逃せばあとで後悔する事は目に見えている。どうすればいいかわからずにしゃがみこんで、頭を押さえる。
そんな時、後方から「ちっ」と舌打ちの音が聞こえた。
「あー、じれったい!」
「!?」
その人物は、の背を蹴って草むらから追い出した。焦っていたこともあり、後ろにいた存在に全く気付いていなかった。
当然、予測していなかったことだ。
は情けなくも頭から地面にダイブした。
「……え!?」
人の声と、物音。89番は自分の様子をうかがっていたの存在に気付いて、目を見開く。
は暗がりの中でもそれをしっかりと見た。
彼の目に敵意が宿る前に。
姿を現してしまった以上 彼女に悩む時間はなかった。
跳ね起きて、足に力を入れる。は地面を思い切り蹴って一気に89番との距離をつめた
。
そのまま音もなくなめらかな動きで彼の後ろに回り、右手を上げた。首元に落とされた手刀は89番の意識を奪い去る。
地に倒れる男。はそれを見届け、大きく息を吐いた。
そして自分が潜んでいた暗がりに目を向ける。
「誰?」
「いや、わりーわりー。あまりにもじれったかったんで、つい、な」
髪のない頭をかきながら現れたのは愛想のよい笑顔を浮かべた青年。
「オレはハンゾー、忍者だ。よろしくな」
「。よろしく」
短く名乗って、89番の傍らに膝をついた。
勿論その間もハンゾーに対する警戒は忘れない。
荷物を漁るとそこからは2枚のプレートが出てきた。彼自身のものと、197番だ。ラッキーだった。これであと一枚だけだ。
しかし、ハンゾーは目が良いのか、この暗い中、遠くからの手にあるプレートナンバーを確認して「あ」と声を上げた。
「なあ、取引しようぜ」
「と、取引……?」
彼女は即座に立ち上がって距離をとる。
「オレの手元には今、198番と392番、そして自分のプレートがある。ここで取引だ。オレのもってる198番と392番をお前にやるから、197番のプレートをくれ」
「197番があなたのターゲットなんだ」
「そういうこと。初めはお前か89番のどちらか生き残った方から適当に一枚巻き上げようかと思ってたが、どうやら取引が成立すればそんなことをせずに済みそうだしな」
さっきの手刀、見事だったぜ。そう言ってハンゾーは片目をつむってみせる。にとっては願ったり叶ったりだ。
なにか落とし穴はないか、何度も自分の中でハンゾーの言葉を咀嚼した。
――大丈夫、大きな罠はなさそうだ。
「わかった」
「取引成立だな。ほらよ」
ハンゾーは二枚のプレートをに向かって放り投げる。
はそれと同じように、197番のプレートをハンゾーに向けて飛ばした。
「荷物は少ない方が良いな、やっぱ」
「……本当によかったの?」
「よくなきゃ言わないだろ? ま、お互いこの先誰かにプレートを盗られることのないよう、気をつけようぜ」
「(あ、そっか)」
こんなに上手くいってしまって良いんだろうか、なんて試験を乗り越えた気でいたが、そんなことはなかった。
まだ約四日ある。その間、プレートを守り抜かなければならないのだ。
気は抜けない。それどころか今まで以上に気を張らないといけない。
「じゃあなー!」
闇に紛れ、ハンゾーはあっという間に見えなくなった。
その場に残されたは、気絶をしている89番に向かって小声で謝罪したあと、また森の闇に溶けた。
目に見えない大きな流れ、運命ともいえるだろうか。
とにかくそういうものは天邪鬼な性質を持つらしい。
誰かを見つけたい、と思っていた時は誰にも会わなかったのにも関わらず、誰にも見つけられたくない、と思っている今はよく人を見かける。
ヒヤヒヤしながらも、「絶」を駆使することでなんとかこちらの姿を発見されることは避けた。
しかしながらこのままではずっと同じ辺りにとどまっているのは危ないかもしれない。
三日目の夕方、は重い腰を上げた。
「(どこか誰にも見つからないような隠れ場所があるといいのに)」
そんなところがあったら、まさに理想郷である。
気配を立ちながら木の間を縫うようにしてもくもくと進んでいくと、ある三人組を見つけた。
確かあれはいつも三人でいた兄弟のグループだ。
誰も胸にプレートをつけいていないことからして、全員が誰かにプレートを盗られてしまったのだろう。
お気の毒に、と思いつつ後退してこの場を離れようとしたは、三人の会話に出てきたある単語に反応した。
「くそ……あのガキ!」
「あのガキ」――これはゴンかキルアを示している可能性が高い。
少しだけ話を聞いていこう、とは耳をそばだてた。
「何者だったんだろうな、あいつ」
「さあ。只者じゃないことしかわからねーよ。手が変形してたしな」
手が変形……肉体操作のことだろうか。肉体操作は、暗殺術の一つだ。
彼らのプレートを奪ったのはキルアでほぼ間違いなくなった。
ということは、あの三兄弟がやって来た方角にキルアがいる可能性がある。
気配を消して三人をやり過ごしたあと、は彼らがやってきた方角――西に向かった。